「難しい患者」の演習、ということがよく言われます。無口な患者、話しすぎの患者、怒っている患者などいろいろ「難しい」人がいるようです。でも、じゃあ難しくない人ってどんな人ですか。医者に都合が良い人と、どこが違うのでしょう。 どんなにSP演習で深い洞察が得られたとしても、患者を「難しい」⇔「難しくない」というように区別した表現を用いることは、患者を医者の論理・都合で選別して扱ってしまう感覚を学生に植え付けてしまいます。このような選別は、患者を自分の操作対象して見る姿勢があってはじめて可能です。そこでは、医療者の姿勢がその患者を「難しい患者」に追いやっているのではないかという視点が欠落してしまいます。 ある学会の教育講演で臨床心理の人が患者のタイプを分けて(強迫的正確・被害的性格・幼児的性格・ヒステリー的性格・憂鬱な性格など)対処法を述べていました。こういう知識が全く不要だというわけではないと思うのですが、こんなふうに言ってしまうと、患者は「対象として(のみ)見られる」ことになってしまいますし、主要な問題は患者にあると言っているような印象となります。そのような性格が発現するもしないも私たち医療者が患者さんとどのような関係を取り結ぶかによる面も少なくないと思うのです。相手の人の性格が不動のものとしてあるのではなく、その性格もまた関係性の中で現れてくるものではないでしょうか。私が患者さんを「難しい」と感じる以前に、それ以上に、患者さんたちは私という「難しい」医者と対面して途方にくれているのかもしれません。学生たちに伝えたいのはそのことです。「難しい」患者をいかにうまく操るか(もう少し上品な言葉が用いられますが)というようなことを、私たちは伝えたいのではないのです。「難しい患者を作らない」ために、良い関係を作ろうと言ってきたのです。患者を医者の都合や論理で分類する操作者の視点を、無くすことはできないと思いますが、その傲慢さを学生には感じてほしいと思います。