No.57
仁義を守る
おおぜいの患者さんとすれ違う廊下を、腕組みしながら難しい顔をして歩いている職員がいました。この人ばかりではありません。患者さんや職員に挨拶も目礼もせずに歩いている人もいますし、廊下の真ん中で同僚と大声で雑談している人もいます。ペタペタと足を引きずりながら、だらしなく歩いている人やあくびしながら歩いている人もいます。どこの病院でも見かける風景でもあります。患者さんと接するところでこのような態度がとられていても、それをおかしいと感じられないほど医療者の感覚は麻痺しています。
病院とは心身を病んだ人が救いを求めてきているところであり、その人の人生が少しでも良いものとなるようにお手伝いするのが私たちの仕事です。病院とは、そのお手伝い=患者さんを支えるかかわりを創り上げていく「舞台」です。病気の人にとって病院は、人生の大事件と立ち向かう非日常=「ハレ」(晴れ)の場(もちろん、めでたいハレの場ではありません)なのですから、ハレに相応しい態度が私たちに求められているはずです。でも、しかめ面やあくびをしている人にとっては、病院は「自分たちの世界」・日常の世界であり、つまりケ(褻)の世界なのでしょう。このような態度は、ハレの舞台に楽屋の顔で出ているようなものです。あるいはまた、お客様が家に来たときにパジャマで応対するようなものです。患者さんが、自分の日常的な仕事場に入り込んできた「処理すべきモノ」と見えれば、どのような態度をとることも問題ないことになります。医療の場でコミュニケーションが生まれにくいのには、このような事情もあるのかもしれないと思います。
プロフェッショナリズムについていろいろと難しく語られていますが、自らが職業として接する相手の人が求めることにきちんと応えることだと私は思います。言い換えれば、患者さんへの「義理」をきちんと果たすことです。患者さんの話を丁寧に聴くことも、わかりやすい言葉で相手が納得できるまで説明することも、最善の医療を提供することも、自らが研鑽することも、そして「ハレ」の舞台の登場人物としてふさわしい態度をとり続けることも、「義理」を果たすということです。医療の「倫理」とは患者さんに対して「義理を果たす」=「仁義」を守ることであり、それがプロのなすべき仕事だと思っています。