東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.59

ノイズ(1)

日下隼人    医者にとって、患者から発せられる言葉は基本的にノイズです。それは、クレームだけではありません。患者さんからの質問も、医者にしてみれば「面倒な」ノイズです。医師は説明した後に「質問はありませんか」と尋ねますが、最も快適な答は「よくわかりました」であり、質問が少しでも想定外のものであればノイズとして鬱陶しく感じられます。医者の問いに対して患者の答えたことも、それが医療者の思考の枠組みに入らないものはノイズとして、消去されてしまいます(耳に入りません)。問診=患者さんからの情報収集では、診断に役立つ情報を無駄なく「聞き出す」(ノイズを切り捨てる)ことが良い問診とされます。医師の仕事は、患者さんのノイズ(余計な言葉)を「ねじふせる」説明を行い、患者さんのノイズ(無知・不安)を解消する説明を行なうことだと考えられがちです。そのとき、ノイズは処理されるべき夾雑物でしかありません。(実は、言葉だけでなく患者の立ち居振る舞い・装いも、医師の設定した規格に合わないものはノイズです。)
    医師頭にとって、それは仕方のないことです。でも、「ノイズ」と感じたことの中にこそその人にとって大切な何かが隠れていると考えて、その「ノイズ」のほうに身を移すという受け止め方があると思います。ノイズを処理すべきものとしてその解消を目指すのではなく、「ノイズ」を受け止め、その「ノイズ」の中にしばし自らも身を浸してみることから見えてくるものがあるはずです。「ノイズ」と感じられたものは、私たちが当然のこととして行なっている「医療」を深く問いかけているのです。身を移すことは、自分がノイズと感じてしまったことをきちんと自覚し、そう感じた事態(自分の心も入ります)の奥に眼を凝らすことから始まるのだと思います。
   最近では「会話分析」などでノイズの奥の心に眼が向けられるようにもなっていますが、「分析する目」を持つ相手には、ほんとうに大切な「ノイズ」は注意深くしまわれてしまうでしょう。

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