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No.62
慇懃無礼
慇懃無礼という言葉は有名です。前にも書きましたが、ポライトネス・テオリーのネガティブ・ポライトネスという言葉は、慇懃無礼とオーバーラップして了解されがちです。でも、私は医療の場で、どんなに礼儀正しくても礼儀正しすぎるということはないと思います。どんなに最上の敬語を使っても使いすぎるということはありません。
最大限の敬意をもって、丁寧な言葉で語られ、礼儀正しく接してもらえることをいやに思う人はいませんし、そのことが人を支えます。誰にとっても、自分がこの世界で文字通りのMVP=最も価値があり最も重要な人物です。MVPに見合った接遇をされて不愉快なわけがありません。まして、病むことで心がしぼんでしまった時ならそうです。
最上の敬語が心からのものか否かということを、人は相手の態度から判断します。表情、姿勢、動作・歩き方、服装・身だしなみ。だからこそ、どちらかを軽視するともう一方も軽くなります。軽くなりだすと、歯止めが利かなくなります。ネガティブ=「丁寧すぎる言葉は患者さんとの間に壁をつくる」と言っていると、いくらでも手を抜くことができるようになります。「日本ではこれをポジティブと言います」と言えないかとも思いますが、「わざわざ横文字で言う必要などないのに」とも思います。
心からの礼儀正しさは、どんなに丁寧でも決してよそよそしくはありません。患者さんと向き合った温かい表情・真剣な表情から発せられた最上級の敬語に「壁」を感じる人はいません。「壁」ができるのは、敬語の責任ではありません。慇懃無礼で悪いのは外面にそぐわない「心の無礼」であって、「慇懃」ではないのです。