東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.63

待つ時間が無くなる 

日下隼人 実習に来た看護学生とこんな話をしました。

   患者さんとなかなか付き合えないことってありますね。「今日はこの患者さんで、こんな勉強をしよう」とか「レポートを書かなければ」とか「不安を聞き出さなければ」とか「ケアしてあげよう」とか、そんなことを思って病室に入っていくと、なんだかうまく付き合えないということが少なくないですね。付き合えない日々が続いて、そんな「思い込み」や「計画」を「もう、いいや」と捨て去って病室に入っていくと、急に患者さんとの距離が縮まり、患者さんとの間の壁が消えてしまったりするんですよね。こちらの身構えが壁になっているのかもしれませんね。じゃあ、はじめから思い込みなしにつきあえばうまくいくかと言うと、そうでもないでしょう。壁が消えるのは、それまでの悶々とした付き合いの時間があるからなのですね。それは、走り出す前の足踏みみたいなものです。だいじなことは、走り出せなくとも諦めずに足踏みし続けることなのです。こちらが悶々としているとき、実は患者さんも悶々としておられるのかもしれませんね。人との出会いは、道の角でばったり鉢合わせするように、ある時突然に生まれるものなのです。いつ、そんなときが来ても良いように、足踏みし続け態勢を整えておかなければ、ケアは生まれないのです。

   ところが、現在の急性期病院の忙しさは、この足踏みの時間を奪ってしまいました。在院日数はどんどん短くなっています。そうでなければ病院経営はうまくいかないのです。そうなると、手探りで患者さんとつきあう時間=足踏みを続ける時間を経て「さあ、踏み出してつきあおう」「話が少しできそう」と思える頃(その頃には、患者さんも「そろそろ話しても良いかな」と思っているのかもしれません)に、患者さんは退院するか転院してしまいます。コミュニケーションは流産してしまいます。看護師の疲れは、こんなところにも原因があるのかもしれません。医療政策が、医療の中身を空洞化させてしまいそうです。
   そういえば、新しい保険制度で、救急入院患者が5日以内に転院すると加算がつくことになったために、看護師が「先生、5日以内に転院できそうですか」と尋ねる状況さえ生まれてきました。大病院は紹介患者中心ということになりましたので、紹介状を持たない患者を邪険に扱う医師が増えてきました。ガイドラインやクリニカルパスには医療の質を高める効果も少なくないのですが、ガイドラインとクリニカルパス通りに診療することが医師の至上命題となってしまうと、そこから外れることはバリアンスという問題としてしか見られなくなります。本当は、ズレるところにこそ人が息づくのに。退院後の診療を開業医に依頼することが保険診療上有利になったために、受け持ち医師には患者の退院後の生活が見えなくなり、入院医療の内容を問い直す契機を失ってしまいました(以前なら、退院後の生活を聞いて、自分の行なっている入院診療を修正できたのです)。病院は生き残ったがケアは死滅したなんていうことになるのではと、心配です。
   でも、それでも、つきあえないわけではありません。出会いは一瞬のことなのですから、その一瞬から世界が広がります。出会っているのに、気づかずに通り過ぎてしまうことも少なくありません。だからこそ、その一瞬を見逃さないように、いつ出会ってもよいように、心の構えを持ち続け、心くばりをしつづけることが重要なのだと思います。今流行りのドラッカーも「成長には準備が必要である。いつ機会が訪れるかは予測できない。準備しておかなければならない。準備ができていなければ、機会は去り、他所へいく」と言っています。

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