No.66
劣等生だった私の医学教育論
前回も書いたことですが、毎年7月にレジナビフェアという研修病院説明会が開催されます。当院も例年参加していて、私も当院の研修医たちと一緒に学生たちに説明してきました。今年の説明会の終わりごろに、一人の男子学生(5年生)が真剣な顔をして「先ほど話を伺ったのですが・・・、失礼ですが、先生はあと何年お勤めになるのですか」と尋ねてきました。私の説明は他の病院の人とは少し違っているので、彼は「やめないでほしい」と思ったのでしょうか、「早くやめてくれないかな」と思ったのでしょうか。いずれにしても、この学年の人が1年次を終了したときに私は定年を迎えます。
私の説明している当院の研修は、劣等生の眼から見た医学教育です。以前にも書いたことですが、私は劣等生で生きてきました。勉強は嫌いで且つできない(できないから嫌い?)、運動神経はゼロで何もできない、オーケストラでは一番下手なバイオリン奏者・・・。医学部に入っても変わりませんでしたし、研修医になってもやっぱり劣等生でした。
倍率の高い当院の研修医採用試験を受験する学生たちは、文武両道に秀でた人たちばかりで、そんな私にはまぶしい限りです。でも、やっぱり私の話は、劣等生の眼から見た医学教育論です。当院の研修は、「スーパーレジデント」を作る研修ではありません。どんな人にも、将来「良い医師」として成長するために必要な基礎をしっかりと身につけることを目標とした研修であること、そしてそのような姿勢が大切だと思う人に当院で研修してほしいとお話ししています。
劣等生の私には、スーパーレジデントという言葉は「劣等生」の心を打つ(良い意味でのインパクトがある)ものなのかが気になっています。「スーパー」という言葉に劣等生は傷つくからやめようと言っているわけではありません。劣等生は傷つくことには慣れているので「傷つけるようなことを言ってはいけない」などとは思いません。でも、何歳になっても「優等生」であることを求め続けるような言葉に違和感のない人が病む人に関わることに、私は少し不安を感じます。
勉強もスポーツもできなくとも、心に秘めたものを持ってこれから医者になろうと思っている人はいるに違いありません。その心に届く言葉を紡いでいくことのほうが、研修医教育に関わる人間に求められているのではないでしょうか。その姿勢は、病む人とのコミュニケーションにも通じるものがあるのではないかと思っています。