東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.69

打ち切りの言葉 

日下隼人    「はい、じゃあ良いですよ」「おしまいです」「OKです」「じゃあ、おだいじに」といった言葉で医師が外来診察を終える場面を見聞きします。この最後の言葉は大きな声できっぱりと言われがちです(私自身も大差ないような気がします)。その言い方には「一丁上がり」という雰囲気がにじみ出ています。それは「もうこれ以上はありませんよ」という打ち切り=関係を断ち切る言葉でもあります。このように言われてしまうと,「あ、言いそびれた」「聞き忘れた」と患者さんが思い出しても、言えそうにありません。退室のために扉に手をかけたときに、「やっぱり最後にこれを言ってみようかな」と思いつくこともなくなります(ドアノブ・コミュニケーション)。
   恋人同士は、なんども別れの言葉を交わしたり手を振りあったりして、名残を惜しみながら別れます。先の医師の言葉はそれとは正反対です。そこには患者さんのことが心配で仕方ないけれど、一応ここまでを「第一段落」にして次につなげようという雰囲気は希薄です。それまでどんなに良い雰囲気があったとしても、「一丁上がり」の言葉はすべてを台無しにしかねません。「終わり良ければすべて良し」の逆ですね。いままで、このあたりのことは若い人たちに十分お話しできていなかったような気がしています。
   医学教育学会で「過剰な敬語は慇懃無礼であり、逆効果」「必要最小限の敬語を使うべき」というような発表が行われていました。このようなことを提起する人は、臨床の現場を知っているのでしょうか。医師の粗雑な言葉遣い、敬語なしの話し方や「最低限の敬語」しか使わない話し方、上から見下した物言いにつらい思いや悔しい思いをしている患者さんが無数に居ること、そして私たちが、時には徒労のような思いにとらわれながらそうした医師の教育に苦労していることを本当に知らないのでしょうか。この提言は、医師の現状追認にしかなりません。免罪符を与えるだけです。「相手との距離を縮めることは、親密さの表現であるが、そうでなければ反敬意の表明として機能する」(滝浦真人「日本の敬語論」大修館書店2005)という危うさこそが伝えられなければなりません。
   患者さんへのアンケート結果をふまえたとも言われていましたが、字面だけのアンケートで「過剰な敬語」への賛否を問うこと自体がコミュニケーション的ではありませんし、そもそも「過剰」という判断は簡単にできることではありません。いつだって言葉は非言語に支えられてしか意味を持ちません。温かい雰囲気で語られれば「過剰」に見える敬語でも人の心は温かくなりますし、丁寧な敬語はむしろ好感度を増すでしょう。心は言葉に表れ、言葉は心を生み出します。敬語を抑えていくことは、敬意を失わせていくことです。もともと私たちが圧倒的に強い=上の立場にいる関係なのですから、強く意識して身を低くしなければ「良好な関係」は生まれようがありません。診察を終える時の言葉は、その総仕上げです。


▲コミュニケーションのススメ目次へ戻る        ▲このページのトップへ戻る

 

プライバシーポリシー | サイトマップ | お問い合わせ |  Copyright©2007 東京SP研究会 All rights reserved.

無題ドキュメント