東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.76

「ことばを交わす」おつきあい 

日下隼人    医療の場のコミュニケーションについて語られる時、どうしても患者さんの気持ちをいかに正確にとらえ、こちらの情報をいかに伝えるか、いかに患者さんの行動変容を促すかということが説かれます。そのためには、あいまいさを排して情報を伝えることが重要な課題となります。でも、コミュニケーションにあいまいさは避けられません。
   人は、自分の想いをある言葉に託しますが、想いが言葉にぴったり納まることはまれです。思いがうまく言葉にならないと感じることは珍しくありません。スタートから、心と言葉はずれてしまいます。ある言葉に込める意味は人によって異なりますから、言葉を受け取る人の中で、また言葉と思いが少しずれます。
   自分の心には、自分で意識できる部分以上に、自分にわからない無意識の部分があります。言葉にならないところで心が蠢いています。心が言葉を生み出すと考えられがちですが、実際には言葉が心を生み出します(話すことを通して、考えが結晶します)。話した瞬間ごとに、そのことで(そして、相手の反応で)話した人の心が動きますから、言葉と心は常にずれる宿命にあります。
   人は、想いのすべてを話すわけではありません。相手によって、相手とのかかわりの中で、話す内容を選びます(誰にでも同じことを言うわけではありません)し、相手によって同じ言葉の意味も変わります。想いと逆のことを言う場合もあります(「つまらないものですが」と言って贈答する・・・メタ・メッセージのやりとり)。想いの一部を小出しにして、それだけで全部わかってほしいと思うことがあります。何も言わずにわかってほしいと祈るような気持ちで黙っていることもあります。心の探り合いのための言葉をお互いに投げかけあうこともあります(このとき、言葉の意味と心とはかなり遠いところにあったりします)。
   あいまいさを減らす努力は必要ですが、無くそうとすることは難しそうです。むしろ、そのあいまいさを楽しめることが、コミュニケーションなのではないでしょうか。あいまいさを抱えて、許容して、だからこそ言葉のやり取りを楽しむつきあいの中で信頼関係が生まれそうです。言葉を交わすことによる交際を、言語交際(phatic communion)と言うのだそうです。交わされる言葉の意味は副次的なもので、言葉が楽しく交わされる交際。恋人同士の会話、井戸端会議、飲み会の会話、などはそのようなものの代表です。患者さんとコミュニケーションをとるためには、患者さんと楽しく雑談することが必須のことなのだと思います。「無駄」のない話は「実」もないのです。
   病者の楽しいこと、うれしいことを一緒に楽しませてもらうというところが出発点です。患者さんの楽しんでいることを、そばで一緒に楽しむ。患者さんと楽しく話せたら、その「時」を楽しむ。自分がしたことで患者さんが喜んでくれたら、そのことを喜ぶ。(自分の楽しいことを押しつけるのではありません。自分が先に笑ったら相手が傷つくかもしれませんし、自分たちだけが笑ったら周囲の人たちが傷つくかもしれません。そのようなことに気を配りながら、自分も楽しくなるということが、病者の楽しいことを大切にすることにつながります。)
   病者の笑顔に、いつも微笑みを返したいし、その笑顔の生まれてきたところを大切にしたい。せっかく、その患者さんと出会ったのだから、その人と一緒に笑いたい。患者さんは、自分がうれしい時に一緒に微笑んでくれない人に、「自分の悲しみを共有してほしい」とは思わないでしょう。楽しい「雑談」がないところで、「情報集め」も「患者指導」もできないはずです。雑談の意味を私たちはもっと伝えなければならないのだと思います。
   それに、言葉の表情は、雑談の中でこそよく見えるものなのです。



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