No.79
「患者さま」が医療を悪くした?
講演のあとの質疑で、「先生は『患者さん』と言っておられましたが、『患者さま』ということばをどう思います」と尋ねられることがあります。私としては、「患者さま」という言葉が日本語として適切なものではないと思っていますので、これまで使ったことがありません。固有名詞に「さま」を付けて声かけすることは悪くないと思っていますが、それも私は使っていません。「日下さま」と声をかけるか「日下さん」と声をかけるかが問題なのではなく、どのような言葉の表情で声をかけるかが問題なのです。温かく声をかけられたと患者さんに感じてもらえる言葉の表情が大切なのです。「患者さま」という言葉にしても、その人がそう言うほうが患者さんに近づけると感じているのならば、使ってはいけないということにはならないでしょう。それで、「どちらでも良いと思いますが」などと言ってしまっています。
先日「患者さまが医療を悪くした」という本が出版されました。著者はあるメーリングリストで、出版社に押し切られてこの表題となったと書いていました。事情はともかくとして、「患者さま」という言葉を使うことが医療を悪くしたというのはどうでしょうか。これまでの医療とは、「患者さま」という言葉一つでだめになる程度のものだったのでしょうか(それならそれで、一度とことんだめになった方が良いのでは、とも思うのですが)。
いま「医療が悪くなっている」と言うのが流行ではあるでしょうが、ほんとうにそうでしょうか。私は、この30年の間に医療が良くなったところもずいぶんあると思いますし、あんまり変わらないと思うところも少なくありません。変わらないと思うことの一つが、「○○が悪い」と批判することを自分の正しさの証として語る人が少なくないこと、自分もその中にいる状況が悪くなった責めを自分以外のことに負わせる姿勢の人が多いことです。この姿勢は、最近の政治や災害を巡る状況でも見飽きていますし、クレイマーと言われる人にも通じます。その世界に関わる人間が原因を自分の外に求める姿勢を変えない限り、つまり他責・責任転嫁の姿勢、被害者意識にとどまる限り、その世界は良くはならないでしょう。「出版社に押し切られた」と言うのも同じです。
やはり医療を悪くした責任は、第一義的には医療者、それも医者にあるというところから考え続けることが、私たちの踏みとどまりどころではないかと思います。多くの医師は善意に満ちており、今回の災害でも見られるように献身的に働いているとしても、です。患者との圧倒的な非対称的な関係を生きるしかない存在、病を得た人間の生きている不安定な非日常と関わることが日常である存在、人の生にずけずけと入り込まざるを得ない存在。そんな私たちの関わりが病む人を傷つけないことはありえないのです。この関係も30年間ほとんど変わっていません。そのような自分と対峙して、その呪縛を内側から解こうとして自らがもがき続けているところからしか語れないという気がします。私の文章がすべてそうなっているとは言えないのですが、「自分が正しい」というところにはなるべくとどまりたくないと思っています。
「正しい答えは一つしかない、その答えをオレは知っているという姿勢はない。自分はこの歌が好きです。きみはどうかという姿勢です。」(鶴見俊輔「随想」)
「さま」を使ってしまったから医療が悪くなったというところでは、医療者の被害者意識が増幅してしまいます。自分が変わりたくなかった人たちには、「患者さまが医療を悪くした」という言葉は、「もとに戻るための」救いの言葉になります。もし「患者さま」という言葉で患者さんが「勘違い」してしまったのだとしたら、「勘違い」させてしまったのはやはり私たちの責任ではないのでしょうか。