東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.84

辻本さんのこと

日下隼人     COML(ささえあい医療人権センター)理事長の辻本好子さんが6月18日にお亡くなりになりました。毎日新聞の訃報欄では「『賢い患者になりましょう』を合言葉に90年、コムルを創設。患者や家族のための電話相談や。医療の在り方を学ぶ講座『患者塾』などを開催。患者には主体的に医療への参加を呼びかけ、医療者らには患者の声を届けた」と書かれています。
    辻本さんにはじめてお目にかかったのは、COMLが立ち上げられて間もないころ(1991年)、大阪でのことです。その直後にお手紙を戴いたことからお付き合いが始まり、医学教育学会などで何度かお話させていただきましたし、私のいる病院にも2度講演に来ていただきました。佐伯さんに私を引き合わせてくださったのも辻本さんでした。今でも私は、講演をしている時に「この話で辻本さんは納得してくれるかな」と思いながら話していることが少なくありませんし、これからも変わらないでしょう。
    医療改革についての医師や学者の文章を私はあまり本気で読んでいません。医学部を卒業した時から、日本の医療は市民が医療者を包囲することによってしか良くならないと思ってきたからです。自己保存本能から免れない医療者の自己変革は期待できないし、「上から目線」からの提案は患者の願いとは「ずれ」続けるしかないでしょう。そう考えていた私にとって、COMLとの出会いは衝撃的でした。辻本さんとの何度かやり取りを通して、ふつうの市民がふつうの暮らしの感性・暮らしの言葉で医療の在り方を根源的に問う姿をひしひしと感じ、私は待っていたものにやっと「出会えた」と感じました。そして、そのような時代の担い手は女性なのだということも私たちはあらためて確認することになりました。辻本さんを「指導」した人など誰も居ないのです。辻本さんの人柄と活動に感激し、応援した人たちがたくさん居ただけです。
    このような市民運動が生まれたこと一つだけで、戦後民主主義は良かったのだと言いきることができると思います。「日本という国の誇り」は、このようなところにあるのです。日本の医療の状況は、「辻本・前」と「辻本・以後」とでは決定的に違ったものになりました。そのことに気づいている医療者はまだ少ないかもしれませんが、そのような時代であることを若い医師たちに伝えることは辻本さんから手渡された宿題だという気がしています。
    何かの折に辻本さんに「患者は賢くなくてもいいんじゃないですか」と話してみたことがあります。病気になってまで「賢くなろう」と頑張らなくても良いし、「ボク、アホやもん」と居直っても良いし、cleverな賢さでもよいし、怒鳴っても良いし、泣いても良いし、どれも患者の権利だと私は思っています。でも、彼女の「賢い患者」というのは、「医学知識をいっぱい持つ」というようなことではなくて、自分の想いくらいはきちんと主張して、対等な人間どうしとして医療者と「ふつうに」(相手に不快感を与えずに)付き合える「賢明さ・聡明さ」を持つ患者になりましょうということだったのではないかと思っています。



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