No.85
モモのように
『モモ』というファンタジーがあります(M.エンデ著)。
モモの住む町の人たちは、なにか困ったことがあるとモモのところにやってきました。それは彼女が、なにを相談されてもいい考えをおしえてあげられたからでも、心にしみることばが言えたからでも、なにについても賢明で正しい判断をくだせたからでもありません。彼女にできたこと、それは相手の話を聞くことでした。彼女は、ただじっと座って、その大きな黒い目で相手をじっと見つめて、相手がおとなであれ子どもであれ同じ態度で注意深く話を聞いているだけだったのです。そのことに彼女はどんなに長い時間でもかけました。そうしてもらうだけで、その人は、自分でもおどろくような考えがうかび、希望と明るさがわき、自分の意志がはっきりし、勇気が出てきました。
じっとそばにいて、待ち続けて、話をきくような愛が、その人の中からなにかを引き出し、その人に生きる意味を「与えて」いきます。いや、それは「引き出す」というより「湧き出る」というようなことだと思います。医療面接で、しばしば「聞き出す」「引き出す」と言われてしまいますが、こんこんと思いが言葉になって湧き出るような雰囲気を作ることが大切なことであり、その雰囲気は話を聴くことからしか生まれないということをいつもお話ししています。「聞き出そう」という姿勢は必ず相手に伝わり、その時、人は身構え、心を閉ざします。もっとも、臨床に出ると、「時間がない」という一言で「長い時間をかける」ことを忘れてしまうようですが。
「ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。・・・モモは犬にも猫にも、コオロギやヒキガエルにも、いやそればかりか雨や、木々にざわめく風にまで、耳をかたむけました。するとどんなものでも、それぞれのことばでモモに話しかけてくるのです。」
そして、モモにそっと寄り添って、わずか30分だけ先のことを教えてモモを導いてくれる亀、カシオペイアがいます。彼はモモが危機にあるとき、そっとそばに現われてくるのですが、モモに友だちがいる時には姿を隠し、モモがひとりぼっちになるとまた現われてきます。「マタキマシタヨ」と(背中の文字で)言って。そして「キヲツケテアゲルヒトガ ダレカヒツヨウデスモノ」とモモと行動を共にします。
病気になった時、モモのように黙ってそばにいてその人を見つめて話を聞けたら、カシオペイアのように寂しいときにそっとそばに寄り添えたら、それがケアなのだと思います。医療者は、いてほしくない時にそばに居て、いてほしいときには居なくて、初めのうちは話を聴いていても、そのあとは一方的にしゃべってしまいがちなのですが。
「ケア−いつもあなたのことを」というコピーが生命保険の広告にありました。「いつもあなたのことが気にかかっているし、何かあれば私はあなたをすぐに見つめる態勢をいつもとり続けていますよ」とお互いが思い合えるつきあい。広告に使われてしまったことはいささかしゃくですが、ケアの出発点も到達点もこの言葉に凝縮しています。