No.87
Hidden curriculum
今年も医学教育学会に行ってきました。「プロフェッショナリズム」のセッションは興味深い発表が続いたのですが、言葉としてはやはり「医療倫理」と言うほうがまだしっくりくるような気がしました。でも「医療倫理」よりも「職業倫理」のほうが、「職業倫理」よりも「仁義を守る」「義理を果たす」「職人の誇り」というほうが、私にはぴったりするということを改めて確認してしまいました(「プロフェッショナリズムについて語ること」については、No71でも書きました)。
そのセッションで、学会長が「豪雪時にガソリンスタンドで親切にしてもらった」という話をしておられました。予想外の豪雪に困った会長に、そのスタンドではありあわせのチェーンを提供してくれ、それがだめだとわかると近くのホームセンターを案内し、そこで買ったチェーンが付けられないと言うと装着してくれて、お金は受け取らなかったということでした。「プロフェッショナリズムの定義」から始まる話よりも、こうした市井の人の態度から学ぶことでプロフェッショナリズムを語る方が良いという気がします。大工のプロとは言わないが建築業のプロとは言いうる、八百屋のプロとは言わないが小売業のプロとは言いうるというところに、「プロフェッショナル」を声高に語ることへの私のためらいの根があると感じています。「もし人が他人に与えられる最高のものが誠意と真実であるなら、ホテルがお客様に差し上げられるのも、それ以外にないはずだと思います」という山の上ホテルの創業者の言葉で、尽くされているとも思います。
このセッションでは、繰り返し「Hidden curriculum=隠されたカリキュラム」が問題だと語られていました。理念として教えられることよりも、日常の業務の中で目撃・体験することで学んでしまうこと(それは理念とは反している)のほうが圧倒的に影響が大きいということです。それなのに、学会ではHidden curriculumだらけで、「医師・患者関係」「模擬患者を用いたアドバンスド医療面接演習」、「SPを養成する」「質の高いSP」「SPを標準化する」という言葉や「患者を満足させる面接」といった言葉は一向に減っていませんでした。「今日はどうされました」と言う言葉から医療面接が始まるという発表が多く、この言葉自体が「上から目線」の言葉であることがどれだけ自覚されているのか心配になりました。(神田橋條治氏の本には「今日はどうしてこちらにいらしたのですか?」と言うような、こちらの身を低くした言い方をすべきで、問診の第一声は疑問文でないことが望ましいと書かれています。「精神科診断面接のコツ」)
「家族歴を尋ねられた時、SPによって家族の考え方が一定でないと学生が困るので、ばらつきをなくすようにトレーニングをする」という発表を聞いたとき、最初私は学生をトレーニングするのだと思ったのですが、よく聞いてみるとSPをトレーニングするということでした。OSCEという試験の場なので、学生が無用に混乱しないようにということなのだとは思いました。一昨年まで私も試験委員の末席を汚していた(言葉の綾ではなく、ほんとうにそういう感じだった)医師国家試験の問題作成にあたっては、問題文の日本語の語用や題意などで「学生が混乱しないように」という言葉を耳にタコができるほど言われましたから、わからないではありません。でも、ことは医療面接です。学生がどのような聞き方をしてもSPが同じ答え方をするのだとしたら、学生は適切な質問の仕方を勉強しなくてもよいことになります。100円玉を入れても500円玉を入れても同じ商品が出てくるようなものです。このような勉強をしていると、将来、実際の患者が質問者の期待通りに答えない時、その患者のほうが悪いということになりかねません。診療上必要な家族歴を話してもらうためには、どのような質問の仕方をすればよいかを学生にトレーニングすることが教育なのではないのでしょうか。少し暗澹とした気分で帰りの新幹線に乗り込みました。(2011.8)