東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.101

「何様のつもりだろうか」

日下隼人    「どうして、こんなになるまでほおっておいたの」という医師の言葉が許せないと、救急搬送され亡くなられた患者さんのご家族が、病院に言って来られました。亡くなられたのは3年前のことです。医師は、それまで家族がどんなに努力してきたのか、どんなに苦しんできたのかを何も聞かなかった。それなのにこのように言ったということが、ずっと心に引っかかってきたとのことでした。医師が、そのように言いたかった事情はあったのかもしれません。でも、心の傷は身体の傷以上に治らず、見えないだけに私たちは気がつきません。心の傷をつけるのはコミュニケーションです。
   こんな文章が私の手元にあります。

ほんの一部しか、何十年と続いてきたその人の人生の中でほんの一時しか知らないのに、その人の命の価値を、生きたいという意志を評価することができるのか。この問いに対して「然り」と答える人は殆どいないはずなのに、この文章における精神科医の判断を糾弾できるかという問題になると、しりごみしてしまうのは私が医療従事者としての立場で物事を考えるようになったからだろうか。
   安楽死や人工中絶のような事例に限らず、いわゆる“生命倫理”を医療の論理、病院の論理が理由もなく侵食してしまっている場面が、臨床実習を始めた頃にはもっと気になっていたような気がする。「メンタルな改善は見込めない」「知的レベルが自分の疾患を理解するのに十分ではない」「こちらから○×してあげるしかない」いろいろな言葉に何様のつもりだろうか?!と憤っていた自分が全く周りの状況を理解していないことに気づいた。周りの状況が少しずつわかるようになってきたことと前述のような言葉や考え方に慣れていったのは並行していたように思う。でも医療に従事することイコールこのような雰囲気に鈍感になることではないと思う。
   医療倫理という難しい言葉でなく、人の人生を同じ人でしかない医師が当たり前のように評価することに「何様のつもりだろうか」と自問自答することは忘れてはいけないとこの文章を読んで心から思った。この医師のように居心地悪い思い、後味の悪さを小石のように胸の内に一杯貯め込むことになるかもしれないけれど、そうすることの気分の悪さが何の役にたつのかまではまだよくわからないけれど。臨床実習の帰り道、病院の窓を見ながら「窓の数だけ違う人生、違う考えがあるね」と言った友の言葉が思い出された。

   私の病院の研修採用試験での、一人の医学生の論文です。もう7年くらい前のことですが、採点をしていて、この文章に出会った時のことは今でも忘れられません。ほとんどの医学生は、一度ならずこのような思いにとらわれているはずです。その思いを受け止め、育むことが医学教育にできているでしょうか。医学教育の世界にも次々新しい言葉や概念が入ってきますが、それがこのような医学生の思いに応えられるものかどうかということで、その意義を判断してもよいような気がしています。
   現在、故郷の大きな病院で働いているこの医師は、今も自問自答してくれているでしょうか。 (2012.3)

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