東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.105

白衣は鎧

日下隼人    看護師の戴帽式をまねて(?)、白衣授与式を行う大学があります。「形が心を作るということは確かにあるので、こういう式も大事だ」とは思いますが、こんなことをしないと医師としての自覚が持てないのだとすると、それは学生が幼児化しているのか大学教育が力不足なのかとも思います。
   私が、できるだけ白衣を着なくなってもう20年近くになるでしょうか。ある日を境に、白衣を脱ぐのと同時に、カルテを英語で書くのをやめました。それまで、アメリカの小児病棟では医師も看護師も白衣を着ていないことは知っていました。「どうして先生はカルテを英語で書くのですか」と何度も看護学生に尋ねられ、うまく答えられませんでした。いつかはそうしたいと思ってはいたのですが、後押しをしてくれたのはCOMLの辻本さんでした(辻本さんのことはNo84に書きました)。ある日の朝、NHKテレビで辻本さんが、医者の白衣が本当に必要か、どうして患者が日本人なのにカルテを日本語で書かないのかと言っているのを聞いて、その日から私は白衣を脱ぎ、カルテを日本語で書くことにしました。白衣を脱いだぶんだけ、必ずネクタイを着用するなどきちんとした服装を心がけていますし、全く着ていないということではなく、時と所に応じて着用もしています。
   それからでも何が変わったのかは、私にはよくわかりません。カルテを日本語で書くことは、患者さんにカルテを見ていただきながら一緒に話し合うことを可能にはしています。患者さんの言葉を医療の言葉に翻訳せず(省略せず)に、言葉通りに書けるようになりました。そのことにはきっと意味があると思います。
   「先生が白衣を着ていないので、子どもが泣かなくて助かります」と言っていただいたことが2回あります。「2回しか」と思いながら、「2回も」と考えるようにしています。でも、白衣には「相手を黙らせる」「言葉を控えさせる」力があります。「白衣が人の言葉を押しとどめる」「白衣の人とかんたんには仲良くなれない」のが患者さんなのです。「白衣を着た医師として患者に近づくと、その関係に政治性があるため、あまり多くを語ってくれない場合があるという。しかし、普段着のままで患者を訪問すると、その一人ひとりの生活が見えてくる」。(稲原美苗「痛みの表現」現代思想39-11,2011)  白衣は医学という巨城を「守る」兵士の鎧のようです。患者は鎧に跳ね返され、その胸にも飛び込むこともできません。「白衣の人だからこそ言える」という場合もあるところが難しいのですが、私にとって、白衣を着ないことは患者さんに鎧を着たまま接したくないという自分自身に向けての決意表明の意味はあると思っています。
   白衣にはコミュニケーションを妨げる力があるということをコミュニケーション教育で伝えることも必要だと思います。「白衣授与式」をしても良いけれど、それを通してプロフェッショナリズムを教育しても良いけれど、白衣が私たちの付き合いを妨げることもあるということを同時に伝えないと片手落ちだという気がします。

   以前は毎週1回2時間、今でも時々、私は外来入口にある総合案内に立ちます。接遇について若い人たちに伝えたいと思ったからでもありますし、病院の管理的立場にいる人間が現場で患者さんに接することがなければ「患者本位の医療」などと言っても伝わらないと思ったからでもあります。白衣ではなくジャケットを着て立っていますと、「あんたじゃ医学的なことはわからないだろうから」と言う患者さんもいますし、最初から最後まで「ため口」で話す人もいます。白衣を着ていては体験できない経験です。白衣を着ていないとお辞儀をしない製薬会社の人がいることを知って、白衣にお辞儀されていたのだということを知ります。
   「事務員のくせに」という言葉が、医師からも患者さんからも投げかけられることがあります。国家資格を持った職員が多い病院という世界で、事務職員の「専門性」がないということを、「負い目」「劣ったこと」のように語る事務職員に出会うこともあります。けれども、国家資格を持つということは、それだけ「普通のくらし」を感じ取りにくくなるということです。国家資格を持っていないということは、それだけ病院の中では一番「普通に暮らしている人」に近いということです。患者さんがいちばん求めているのは、そのような人にしか持てない「共感」ではないでしょうか。それは、一つの専門性です。「くせに」などという言葉にへこたれないで、そこに「居直って」自信を持って仕事をして下さいと、講演などでお話ししています。(2012.5)

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