5月3日、久しぶりに西六郷少年少女合唱団の定期演奏会に行きました。以前は毎年行っていたのですが、今回は3年ぶりなってしまいました。3年前よりずっと声がきれいになっていて、1999年に亡くなった初代指導者の鎌田先生が指揮していたころと同じような澄んだハーモニーが復活していました。
この合唱団は、私の原点なのです。今から50年ほど前、まだ京都にいたころのことですが、歌や音楽が好きだった私はNHKの子供向け音楽番組を見るのが好きでした。その番組で、子供たちがほんとうに楽しそうに元気溢れる歌声で歌っていたのがこの合唱団でした。浪人中に鎌田先生にファンレターを書いたところ丁寧なお返事をいただき、1967年「東京の大学に入った」ことをご報告したところ演奏会の招待券を戴きました。45年も前のことです。
あのころ、私は「自分は、このような元気な子供たちを守る仕事をしたい」と思い、「子どもを守るのは教育だ。だからこそ、教育学部に進学して教育学を勉強したい」と思いました。今の私なら、こんなことを学生が言ったら、「子どもを守るというのは、大人の傲慢さではないのか」「『子どもが好き』って言うけれど、大人が子どもに対して持つ権力的な関係をどう考えるのか」とか「教育にそれほどの力があると思うのは錯覚だ」などと絡んでしまうだろうと思いますが、当時は本当にそう思い、ずいぶん長い間文系の受験勉強をしていました。そうは言っても、今でも「子供が好きなので小児科医になりたい」という学生に、若い時の自分を見るような気がして、少し嬉しくなるのも事実です。その後いろいろあって、結局子どもと関わる仕事をすることになったわけですが、その原点はやはりこの合唱団との出会いです。
終演後、帰ろうとすると、団員全員と指揮者が出口で私たちを見送ってくれました。1999年までのコンサートは全国から児童合唱関係者が来場し巨大なホールが満席となるようなものだったのに対して、現在はもっとこじんまりとしたものになったので、それが可能になったということはあるのでしょう。でも、ここには「出迎え」と同じように、人の心を温かくしてくれる何かがあります。
研修病院の医師のために、臨床研修指導医養成講習会が多くの施設や組織で開催され、私も年に何回かはその講師(タスクフォースとかタスクと言います・・・好きな言葉ではありませんが)を務めています。この会が終了するとき、私がお手伝いする講習会ではタスクみんなで参加者を見送るようにしています。私の病院内での、いろいろな研修会の後でも私は同じようにしています。はじめのうち、私も終了式が終わると他のタスクと一緒にさっさと講師控室に引き上げて、反省会に参加していました。でも、ある時「それって、なんか失礼な感じ」と思った私は、一人で、参加者が全員帰るまで見送ることにしました。しばらくして、他のタスクにこの思いを話したところ、みんなが見送るようになりました。
研修は、プログラムの中身だけではありません。研修医を育てようというプログラムで伝えたいことを、研修を離れた素の場面でタスクフォースが研修参加者に対して実践していなければ、研修の効果は乏しいものになってしまいます。研修会最後の場面が、きっと参加者の心に一番残ります。「研修医を大切に、愛情を持って育てよう」ということを研修中言っていたのに、「プログラムは終わった。じゃあ、私たちは引き上げるから、参加者も勝手に帰ってね」というのでは、参加者を大切にしているとは言えません。その最後の場面の記憶から、参加者は病院に戻ってから研修医にそのように接してしまうかもしれません。
「講習会を通してずっと言いたかったことは、実はこんなことなのですが・・・」という思いが、タスクフォースが全員立って「お疲れさまでした」と声をかけ、また一言二言会話を交わすことから伝わると嬉しいのですが。研修医を一人の人として尊重し、その人生を大切にすることさえ心がけていれば、後はどのような指導であっても研修医は育ってくれるでしょうから。そして、その研修医は、後輩にも患者にもそのような姿勢で接してくれるでしょうから(という期待をこめて)。
同じように、医療面接演習が終わってから、私たちが演習の参加者に温かくていねいに挨拶することも大切な演習なのです、もしかしたらそちらのほうこそが。 (2012.6)