当院の研修医オリエンテーションは3週間で、たぶん日本では相当長い方だと思います。その長い間に、いろいろな部署の見学・実習、医療面接演習(1日かけます)などのほかに、医療倫理、緩和ケア、医療安全、看護などについてのグループ討議・グループワークを行っていることが当院のオリエンテーションの特色です。
看護についてのグループ討議は、オリエンテーションの最後の日に行い、看護部長と私がコメンテーターになります。最後に行うのは、研修医たちがそれまでに日勤・夜勤の看護実習・クラーク実習・入院体験などを済ませているということもありますが、看護こそが医療の本質だと思うからです。
例年のことですが、グループ討議では「看護師さんが『汚い仕事』をいやな顔もせずにしていることに感心した」「看護は重労働で、よく身体を壊さないと思った」「看護の仕事はたいへんだと思ったので、指示の出し方に気をつけたい」「看護師さんがいろいろ支えてくれているおかげで、医者の仕事ができるということが分かった」といった感想が聞かれます。でも、そこにとどまっているのでは困ります。研修医にわかってほしいことは、「医療とは看護のことだ」ということです。
医療とは、病いの辛さに耐えている人のそばに居て、手を添え、その人の言うことに耳を傾け、同じ人間どうしとしてできる「ささやかな」ことをていねいに積み重ねていくことです。それは、看護り(みまもり)です。看護の「大変さ」は、汚い仕事にではなく、患者のそばから逃げ出さず、そこにとどまり続けることにあります。
一人の人間の人生のある時間を受け止めるという重い仕事が看護にとって当たり前のこととして求められ、そのような仕事はしばしば「汚い仕事」を通して可能になります。身体的ケアや汚物の処理をすることを通してしか生まれないケアがあります。体を拭いたり「下の世話」をしている時に患者の思いがポロリとこぼれ出し、そこから突然世界が開け、その時はじめて付き合いが生まれるということがあります。けれども、患者の味方であり続けようという想いからの聴く耳がなければ、患者さんの深い思いからこぼれた言葉も聞き逃してしまいます。「汚い仕事」がつらくなるのは、それにも拘わらず患者を受け止めきれない時なのだと思います。
そういうことを、ディスカッションを通して学んでほしいと思い、これまでこのような演習を続けてきました。私は来年で定年ですが、このような思いはこれからも折に触れて語り続けていければと思っています。そもそもは私が小児科医1年生の時に「医療とは看護のことなんだよ」と教えてくれた先輩の言葉を、真似しているだけなのですが。
これくらい長いオリエンテーションをしていると、研修医たちはウズウズしてきます。他の病院で働いている同級生たちはとっくに現場に出て、挿管したりしているという情報が入ってきます。このウズウズのおかげで、オリエンテーションが終わると一目散に研修に集中できるようです。(2012.7)