東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.110

わずかな記憶

日下隼人    新しい研修医が働き出して、もう4ヶ月になります。この2年が、医学的にも人間的にも実り多いものであることを祈っています。でも・・・。
 「はてしない物語」(M.エンデ)で、ファンタージェンを旅するバスチアン少年は、人間の国に帰ろうとします。その彼にアイゥオーラおばさまが諭します。
 「ぼうやは一つの望みから次の望みへと、長い旅をして、そのつど望みがみたされてゆきました。一つ望みがかなえられると新しい望みが生まれました。・・・ところが、ぼうやは、望みが一つかなえられるたびに、自分の元いた世界の記憶を、一つずつなくしていったのです。と言っても、ぼうやはもう帰る気持ちはなかったので、気にもかけませんでした。だから次から次へと望みを持って進むうちに、とうとう記憶のほとんどを失ってしまいました。・・・残されたわずかな記憶までなくなってしまう危険が出てきたのです。もしそんなことになれば、ぼうやはもう自分の世界に帰れなくなるのです。」
 若い医師の成長とは、このようなことではないでしょうか。
 医学的な知識が身につくにつれて、医師は多くのことを忘れていきます。医学部に入るまで暮らしていた、医学知識とは無縁な「普通の暮らしの世界」。学生時代に抱いていた医療への違和感。医療を通して人のために尽くしたいという気持ち。
 研修をしていくうちに、どんどん力がついていきます。ハードな教育を受けることが好きな人は少なくありません。マニュアル的、ガイドライン的な教育をびしびし行うことがよい教育だとされがちなのも、今の時代に限ったことではありません。即座に判断することができ、速やかに方針が立てられて、自動的に手が動くこと、そういったことが良いこととされます。そのとき、この流れに乗らない患者の事情は、すべてノイズになります。「余分なこと」を考える時間は教育の範囲外のことになってしまいます。
 急速に知識や技術が身につきだすので、あっという間に、患者は無知で愚かな人間に見えるようになってしまいます。それでも、「無知で愚かな人だから助けてあげよう」ならまだしも、物笑いの対象や忌避の対象にしてしまうことが少なくありません。普通に暮らしている人の感覚は、どんどん分からなくなります。かつて違和感を抱いたことがらが、あたりまえのことと見えるようになります。マザー・テレサのような関わりは、医師の仕事ではなくなってしまいます。以前の世界は「戻らなければならない」世界ではなくなりますし、それこそが成長だと感じます。
 研修医オリエンテーションでいろいろな現場体験をしてもらうのですが、どこにいっても「医者ってだんだん態度が悪くなるんだよね」と言われたと研修医が言います。当の医師は成長していると感じているに違いありません。若い医師は、だんだん記憶を無くしていってしまうのでしょう。でも、悪いのは研修医ではありません(たぶん)。先輩医師の見せる後姿がもう少し違えば、研修医たちは「わずかな記憶」を大切にしてくれるはずなのですが。(2012.7)

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