No.93で、「医師は、誰もがわかりやすく説明したつもりになっています。でも、それは30階建てのビルの、30階から20階に降りてきた程度なのです。10階も降りることはとても疲れることなので、医師は達成感に満足しますが(あるいは息切れしてしまっていますが)、下にいる人にとっては30階も20階も同じように『ずっと上の方』でしかありません」と書きました。医療者には、このことはなかなかわからないようです。
外来でなにげなく聞いていると、「おなかが柔らかいから大丈夫」「レントゲンのこの白いところが異常」「ウィルス性だから抗菌薬が効かない」といった言葉が耳に入ります。医師のホームページで患者向けに書かれた病気の説明で、「マイコプラズマは、細菌とウィルスの中間の大きさで」と書かれているのを読んだこともあります。
でも、「おなかが固い」というのがどういうことかわからないと「柔らかいから大丈夫です」と言われても、シロウトにはわかりません。「こうしておなかを触ると、手術を必要とするような深刻な事態が起きているときには、おなかの方から押し返してくる力を手に感じますし、もっと病気が進むとお腹が板のように固くなってしまうのですが、それを全然感じないので、今のところ心配するような状態ではないと思います」というような説明なしに「大丈夫」と言われても、患者さんは安心できません。
レントゲンで何が黒く写り何が白く写るのかの説明がなければ、白いところが異常と言われても、何を言われているのかわかりません。
細菌とウィルスとの違いはたいていの人にはわかっていませんから、ウィルス性だから抗菌薬が効かないと言われても、「(良くわからないけれど)薬がないんだって」ということしかわかりません。ウィルスと細菌の中間の大きさの病原体だからこそ抗菌薬の選択に注意が必要なのでわざわざそのことを書いているのですが、そう書かなければ医者が何を考えているのかがわかりません。
研修医のカンファレンスで、研修医たちは患者の症状から考える鑑別診断について生き生きと意見を述べ合っています。治療についての新しい知識について目を輝かせて学びます。でも、その症状を抱えている人の人生は一人一人異なったものであり、それぞれの悩みと迷いもまた症状であること、医師の考える診療の方針と患者の心は常に乖離するのだといったことを話し合うことに目を輝かせる研修医は多くありません、というより話し合いません。もちろん、指導医も。
この雰囲気は、病気研究クラブです。「クラブ」だから、学生気分の会話を続けていられますし、部活の「乗り」の会話が弾みます。その「乗り」の言葉が、患者さんに投げかけられてしまうことも少なくありません。患者さんの人生を慮ることや患者さんが受け取れるように言葉を届けることを「研究」することは、楽しいクラブ活動ではなさそうです。患者が一人の人間として見えなくなってしまう危険が、そこには潜んでいます。
医師の勉強とは、病気研究と同時に(それ以上に)人生を学ぶことであるということに気づくころには、医師としての人生は残り少なくなっているものです、そのころになっても気づかない人もいっぱいいますが。 (2012.8)