小児科の外来では、採血や点滴を外来処置室で小児科医師が行うのが普通です。私は、そのような場合、家族にそばに居てもらいます(「見ていることが辛ければ、外で待っていていただいてもよいのですが・・・」と確認はします)。採血慣れしているためか処置室から出ていこうとする母親に「居て下さっていいですよ」と言うと、「良いのですか」と嬉しそうに驚かれることも少なくありません。親がそばにいることに驚く見学の学生(医学生、看護学生)もいますし、「自分の大学でもそうしています」と言う学生もいます。もちろん、家族がそばに居ることがプレッシャーになって処置がうまくできなくなる医師もいますし、特に若い人ではそのようなこともあるでしょうから、若い人たちに強制したりはしていません。 私がそのようにしたいと思ったのは、もうずいぶん以前のことです。他の医師が処置している時、処置室の外で下を向いて涙している母親や処置室のドアに耳を付けて中の様子をうかがっている母親を見ているうちに、私は自分の処置について、すべてというわけにはいきませんが、家族に一緒に居てもらうことにしました。血液疾患の患者を受け持っていた時には、骨髄穿刺や腰椎穿刺でも原則として処置室に入ってもらっていました。 「母親がそばにいながら助けてくれない」ことが子供を傷つけるという意見もあり、そうかもしれないと思います。でも、家族は医療チームの一員です、それももっとも重要な。処置をそばで見て、子供に声をかけてもらうほうがチームの一員らしいと私は思いますし、処置をそばで見ていない親が子どもと病気のことを話し合うことなどできないと思いました。「おかあさん、僕が痛いことをされているところ、見ていないからわからないでしょ」という子どもが実際にいました。 処置しながら、私は家族と話します。雑談をしたり、ギャグを言ったりすることもあります。近くのスーパーの安売りの話をしていて、子どもに「うるさい」と怒られたこともあります。それは例外的なことですが、このような場面こそ、家族とコミュニケーションを取る絶好の機会です。患者さんと接するすべての瞬間に診察の機会があるのと同様、至るところにコミュニケーションの機会があります。面談室でのコミュニケーションは、もっとも希薄なコミュニケーションなのかもしれません。 自分のしていることを直接は見ることができませんが(離見の見なんて簡単にはできませんから)、他人が同じようにしている時に、その構図を患者の側から見て学ぶことはできそうです。処置室の外で涙している母親の姿を繰り返し見ているうちに、私にはこの構図が耐えられなくなりました。私に見えないところで親の涙はたくさん流されているのですから、それを少しでも減らそうとすることも医療です。 外来でも同じです。長い時間待たされた末、マイクで名前を呼ばれておずおずと診察室の扉を開けようとしている患者さんの姿は、待合室でしか見られません。患者さんの後ろからそっと見ていると、扉をあけてまず目に入るのは、肘掛のついた椅子に「だらしなく」座っていて、「不機嫌そうに」「ジロッと」こちらを見る医師の姿です(「 」内のように患者には感じられてしまいます)。言葉を交わす前のこの瞬間に、上下の関係は固定してしまいます。もう自由には話せなくなります。こうしたことは待合室のほうから見てみないとわかりません。待合室に座ってみることも若い医師の研修に必要なのかもしれません。(2012.11)