東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.12

医療事故とコミュニケーション

日下隼人 医療の場で事故(事故はミスと同じではありません。起こることが予測される合併症も事故なのです)が起きたとき、医師の説明が患者に通じないことが少なくありません。そのようなとき、医師は「患者というものは、論理の通じない感情的な存在で、いくら説明しても分からない困った存在だ」などと思ってしまいがちです。でも、このようなとき医師が気付いていないのは、ふだんの人間関係=コミュニケーションが良くなければ、つまり、これまでのつきあいで患者(家族を含めて本稿では患者と表記している)から信頼されていなければ、どのような謝罪や説明も受け容れられることはありえないということではないでしょうか。
言葉づかいが悪かった、敬語も使わなかった(多くの医師は敬語を用いないか、上からの話し方をしている)、態度が悪かった(挨拶もしない、服装がだらしない、・・・)、十分話を聴いてくれなかった、十分説明してくれなかった/説明がわからなかった、質問にきちんと答えてくれなかった、失礼な話し方をされた、思いやりのない言葉/態度だった、インフォームド・コンセントに納得できなかった、強制的に同意させられ選択の余地もなかった、といったことをそれまでの診療の過程で患者が感じていれば、事故発生後の医療者の説明は耳に入りようがありません。
なぜなら、事故が発生しただけでも患者はそのことで頭がいっぱいになり医療者の説明はほとんど聞くことができないのに、ふだんの医療者の言動から医療者に対して不信感を抱いている場合、事故発生とともに不信の元となったそれまでの医療者の言動に対する怒りが噴出し、そのことで頭がいっぱいになり、医療者の言葉に耳を貸す余裕はなくなるからです。さらに、事故の説明や謝罪の場合、医療者は敬語を含む丁寧な言葉で説明し態度にも意をはらうのですが、そのことで患者は、その言動とふだんの言動との落差を感じるばかりとなります。説明を聞いている間、患者はその落差に医療者の人間性の「卑しさ」を感じてしまったり、「疚しさゆえの丁寧さ」と考えて事態が医療者の落ち度であると確信したりしてしまうでしょう。患者は医療者の言葉を聞くよりも、その落差を巡って、「あんなにふだんは偉そうにしていたのに」「ふだんはちっとも話してくれなかったのに」などとばかり考えているかもしれないのです。つまりは、ほとんど医者の話は聞こえていないのではないでしょうか。医療者側は「あんなに丁寧に説明したのに理解されない」「こちらを責め続ける」と思うかもしれませんが、ふだんのつきあいとの落差があれば当然のことです。極端に言えば、ふだんと違う丁寧な言葉や態度で説明すればするほど、言葉は届きにくくなり、受け容れられなくなるのです。
まして、その医者が、白衣をだらしなく着ていれば、貧乏ゆすりなどしていれば、きちんと頭を下げられなければ、患者と目を合わせようとしなければ、そして、腕のR社の高級時計でも目に入れば、医者の話など聞こえるわけがありませんね。

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