東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.121

惚れた弱み

日下隼人    病院に乗り入れているバスの中で「良い人に当たるかどうかは、運だものね」と話す声が聞こえました。
   人生で最も澄んだ感性を持つ患者(No.117で書きました)は、医療者の言葉・態度に全神経を集中します。待合室で診察を待っている間、ずっと病気のことを考えています。前の人の診察がすぐに終われば、丁寧に見てくれない医師ではないかと思います。前の人の診察が長引けば、何か「悪い知らせ」を受けているのではないかと思い、自分もそうなるのではないかと不安になります。
   医師の言葉や態度に、文字通り一喜一憂します。「心配だな」「うーん」と言った言葉、「眉をしかめる」「首をかしげる」と言った動作、そういったことの一つ一つが不安につながります。「まあ、大丈夫でしょう」と「ちょっと心配ですね」は医者にとってはほとんど同じのことが多いのですが、患者にとっては大違いです。医者はしばしば前回の診察や検査のことを忘れたり勘違いして話してしまいますが、患者のほうはそれだけで自分が大切にされていないと感じますし、「勘違いするような」医師の言うことを信じてよいのか、困惑します。こういったことは、医者の想像を超えています。
   ほんのちょっとした一言で「良い人だ」と感じてもらえることもあれば、医師にとっては「なにげない」言葉で患者は怒り出すこともあります。もう少しだけ言葉を注意して選べば、もう少しだけ言い回しを気遣えば、患者さんが混乱しなくて済むのにと思わされることが少なくありません。理系の頭の医者だから語彙が足らないのでしょうか。忙しくて相手の人の心を和らげる言い回しが思いつかないのでしょうか。上から目線だから相手の人への気遣いが足らないのでしょうか。きっと、どれもあるのでしょう。
   でも、自分が正しいことを「施している」という感覚に安住することを止め、提供者なのに顧客から「お礼を言われる」という関係への居心地の悪さから逃げないところで、生まれてくる言葉があります。それは、理系か文系かということではありません。医療系の学校に入ったころ、医療現場に出たころ、誰もがこの世界へ違和感に包まれていたはずです。それを忘れなければ、言葉や言い回しは丁寧になるはずです。それは、どこか恋愛に似ています。恋愛をしているとき、たいていの人は相手にそんな気遣いをして話しているはずです。「惚れた弱み」が、一番の言葉の先生です。患者さんと恋愛関係になるわけではありませんが、その人柄に惚れてみれば言葉は変わります。
   この場合の「惚れる」とは、病むことで完膚なく「弱く」なってしまった人が病院の玄関を入る時に抱く「良い人(医療者)だといいな」という祈る思いに応えようとすることだと思います。(2013.1)

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