最近、キャリアパスという言葉をよく耳にします。若いうちから長い人生の計画を立てなければならないのは大変だなと思いますし、そうすることでその先の人生がだいたい見えてしまうのだとしたら、それもなにか息苦しい感じがしてしまいます。人生、計画通りにはいかないものですし、標準的な計画通りに生きない人生の選択もあるのにと思います。
私が大学を辞めた時、もうこれで研修医や学生に会わなくて済むと思ったのですが、40年の医師生活(特にその後半)の中心は研修医や医学生・看護学生たちとのおつきあいでした。私にとって、学生たちはいつもいろいろなことを教えてくれる先生でした。
大学に入ったころには、「封建的」と言われていた大学医局の一員としてそのしきたりに従って生きる覚悟をしていたのですが、その覚悟は医学部闘争の中で吹き飛んでしまいました。
大学闘争の中で学会活動や博士号を批判したので、医者になるとき、研究や論文を書くこと・博士号などとは無縁に生きることにしました。その時から出世することは断念して、「定年までヒラの医師でいても(同級生たちが出世しても、後輩に抜かれても)悔いない。自分の選択として引き受ける」という決意をしていたのに、現在のような職責についてしまったことが不思議です。
自分が大学に向いていないことは自覚していましたので市中病院に早く出たいと思い、今の病院を自分で探して就職しました。何年か勤めてみて、だめなら京都に帰ろうと思っていたのですが、36年も勤めました。勤める前には予想もしなかったたくさんの方との貴重な出会いがあり、導いていただきました。
医者になってからも社会学や哲学、精神分析など文系の本ばかり雑駁に読んでいたのですが、医療の状況が変化して医療倫理や患者の人権・患者−医師関係のあり方が語られるようになると、突然そうした「雑学的」知識がすこしだけお役にたてることになってしまいました。
小児科医になって、癌の子どもと関わろうと思ったのは、「あなたのお子さんを治してあげますよ」と言えないところで医者をしようと思ったからなのですが、最近は子どもの癌が「治ります」と言える時代になりました。
医学部卒業の時、日本の医療を変えるために医師になるのだと自分を納得させていましたし、そのためには「一人ひとりの人間を徹底的に尊重するところから、医療を作り変えたい」、それは「患者−医師関係を変えることから始めるしかない」と思うようになっていました。今コミュニケーションを考えていることと、そのこととはつながっています。
キャリアパスは、現在の社会システムがこのまま持続するという前提でしか立てるしかありません。今の時代状況の中では社会全体がどうなるかわからないという気もしますし、「明日の予定も10年後の予定も立ててしまわなければならない」人生は楽しくないと思うのですが、時代が違うから仕方ないのかもしれません。そこには閉塞感もあるような気がします。閉塞感のエネルギーはファシズムにつながることもあるのですが、変革のエネルギーの源でもあります。変革を担うのはいつの時代も若い人たちの志であり、若い人たちの志を応援するのが私たちの仕事です。(2013.3)