東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.13

モンスター患者?

日下隼人 モンスター・ペアレント、モンスター・ペィシェントという言葉が流行っています。たしかに、「とんでもない」事例の報告がされています。またまた「悪人探し−悪人叩き(叩いている人は正義)」という構図ができているようです。
でも、と思います。その「とんでも」言葉は、どんな状況の中で、どんな文脈で、言われたのでしょう。そのあたりのことは何も書かれていません。言った人の思いもわかりません。それまでどんなつきあいがあって、この言葉が生まれたのだろうと気になります。文脈抜きに一部の言葉だけが取り上げられるときには、そこに「悪意」が流れていることが少なくありません。
 かつて、小学校の発表会を見に行ったとき、ジャージ姿の教師が子供の親に「ため口」で話しているのに驚いた記憶があります。初対面の親に「そうだね」「そこから入って」なんていう言葉で話すことに何の違和感も抱いておられなさそうなことに、私は医者とおなじ体質を感じてしまいました。こんな言葉がたくさんかけられた上での「とんでも」言葉だとしたら、どちらが悪いのかはわからなくなります。教師特有の「上からの言葉」「お説教がましい言葉」に人はけっこう傷つくということを、教師は気がつかないものです、医者もですが。小さな不快感が積もっていく時、人は「反抗」の火を上げることがあると思います。
 確かに「どうしようもない」モンスターはいると思います(います)。でも、モンスターでしかありえない人もいるけれど、たいていの人はモンスターにもなりうる普通の人なのではないでしょうか。その普通の人をモンスターに変えてしまったのが、私たちの言動でないと言う保障はありません。モンスターになりうる普通の人をモンスターにしない、逆に笑顔になってもらう。そのために最も重要なのは、相手の人に敬意を払い、相手の人のことを思う、同じ人間どうしとしてのコミュニケーションだと思います。そうしたコミュニケーションは、医療に関わる職人の「芸」のうちだと思います。
 そのことを抜きにして、「患者暴力」「毅然とした態度」「警察を呼ぶ」というような言葉が声高に語られ、一人歩きしだしています。それは医療の退廃だと思います。医療崩壊は、医療者の心のうちでも起こっているのはないでしょうか。「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである」とニーチェが言っているそうです。患者さんがモンスターと見えるとき、私たち自身もモンスターになっているのかもしれません。

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