東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.131

「過去形でしか語れない」

日下隼人    No38で、「ケアとはそっと見守ること、見守り続けて、必要なときにそっと、あるいはさっと手を添えることだと思います。ちょうど、マラソンランナーの伴走者のように。そのためには、私は目をそらさず、支えられるようにいつも手を準備していなければなりません。はらはらしながら病者を見守る私たちの時間と、生きる不安に満ちた病者の時間が寄り添うところにケアは生まれるのだと思います。病者に必要なのは、ふと横をみればこちらを見つめていてくれる人であり、倒れそうになれば後ろから支えてくれる人です。『後にいますよ』『そばにいますよ』というメッセージを私たちは発信し続けているでしょうか。それは言葉によるというよりは、こちらの体温を感じてもらえるほどの距離に居つづけるということなのです。それこそがコミュニケーションの真髄です。自分が大切にされ尊重されていると感じられれば、病者は落ち着き、自分で歩き出せるでしょう。そのとき、私たちも病者に支えられて自分の人生の新たな一歩を歩みだすのです」と書きました。
   いざとなったら絶対に頼れる、困ったときには必ず支えてくれる、どうしようもなくなったら戻っていってよいと信じられる人が一人でもいるという信頼があれば、人は自らで歩くことができ、自分の人生という物語を書き出すことができます。職業的なかかわりから始まる付き合いを通して、病者からそのように見てもらえるようになった医療者とその病者が、互いに手探りでお互いの存在を少しずつ確かめあいながら、一歩一歩未踏の世界を進んでいくとき、医療が始まります。そして、病者の前進を可能にするのは、「この病者はきっと一人で歩き出せる」という医療者の全面的な信頼です。
   「『支えになる』というのは、・・・君と『一緒に、同じテンポで変化してゆく』ことだ。そのときどきにおいて君が必要とするところに『すっ』と手を差し出すことだ。」内田樹『期間限定の思想』
   「自分を全面的に受けいれてかなしんでくれる存在をもつということは、私たちをなんと安心させてくれることだろう。そのような落ちつきを手にいれたとき、私たちはそれだけでもうすでに自らの力で一歩前進することを準備する元気をあたえられたようになるようだ」有馬道子『心のかたち・文化のかたち』
   「医師は医師としてここに介入しようとしてもできないし、かるがるしく介入してはならないのかもしれない。ただ同じ人間の条件にある仲間としてそっと見守ってあげることしかできない・・・・。そういう態度をとる人間が周囲にいるだけで、病める人は『愛』というものを発見する」神谷美恵子『こころの旅』
   「ひとはたしかにじぶんのことを気に病んでくれる人がいるということで、生きる力を得ることがある。見守られていると感じることで生きつづけることができる。」鷲田清一『死なないでいる理由』

   とは言え、ケアは、はじめからこのように意図してできることではないという気がします。患者さんのことがどうしても気になり、なんとか力になりたいと夢中でつきあって、でも何が出来ているのか分からないと悩み続けるような付き合いをしているうちに、患者さんが少し「元気」になった時、その事態を振り返って整理してみるとこのように言えるということであり、いわば過去形でしか語れない(未来形では語れない)ことなのだと思います。医療の場に限らず人と人とのつきあいは、卵を温めるようなものだと思います。卵が孵るためには、そっとやさしく触れる手と、適切な温度と一定の時間が必要です。温める過程ももちろんお付き合いです。そして私たちは、自分の触れ方がやさしかったこと、温度や時間が適切なものであったことを、卵が孵化したときにはじめて知ることになるのです。それは、夢中で人と付き合うことから始まる恋愛とどこか通じてもいるようです。(2013.5) 

お知らせ
「コミュニケーションのススメ」から本が生まれました。皆様のお蔭と、心から感謝しております。
     篠原出版新社

コミュニケーション




 

 

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