東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.137

好意の原則

日下隼人    もうずいぶん昔のことですが、医師の勧める治療を拒んだ患者さんのことについて、「患者に裏切られた」と言った医師がいました。その言葉を聞いたとき、それまでにその患者さんと医師との間に信頼関係があったのかと私は訝しく思いました。医者の言うことをきく(言うとおりにする)はずという勝手な医師側の思い込みを信頼と言っているだけのように感じました。医師−患者関係を主従関係と考えていたのかもしれないとも思います。時が経ちましたが、この世界の状況はあまり変わっていないという気がします。
   今でも、病院で事件が起きると、「患者側の悪意」についていろいろ推測・詮索が始まります。きっと、こういう見方をしている方が、人生を損せずに生きていけるのでしょう。その意味では、病むことで危機にある人間は何をしだすかわからないし、自分のためにありとあらゆる「嘘」をつく可能性があります。誰でも、自分が一番大切なのですから、相手を利用できるだけ利用しようとします。心はどうであれ、言葉を取り繕って事態が円滑にいくように(相手に悪く思われないように)振る舞うのは、この国に生きる人の常です。自分の意思を通すために怒鳴る人よりは、相手の人が気に入りそうな言葉を並べる人の方がずっと多いのです。私も例外ではありません。
   それでも、人とつきあう時に「裏切られたって良いではないか。だまされても良いではないか」と居直ってつきあうという選択肢があると思います。すべての人とそう思ってつきあうかどうかはともかく、人を信じないところにケアは生まれません。長い宇宙の歴史の中で、私たちの生きている時間はほんの一瞬です。今という時間の中でも、70億人もの人の内、会える人はほんの一握りです。年の差や考え方の違いといったささやかな違いなど問題になりません。そのような中で出会えたという僥倖をかけがえのないものとして愛おしむところにしかケアは生まれません。自分が出会った人を信じることができなれば、相手の良いところを見ていくのでなければ、人とつきあう仕事はつまらない、耐えられないものになってしまいます。
   「人の発言を理解しようとするときには、その人の言っていること、考えていることは、基本的に正しいとせよ、という原則です。それはまた、人の考えを好意的に受け取れということでもあるので、私は『好意の原則』と訳すことにしています」と、冨田恭彦はデイヴィドソンのプリンシプル・オブ・チャリティを紹介しています。(『哲学の最前線』講談社1998)   人を信じるということは、だまされることがあるかもしれないし利用されることがあるかもしれないけれど、それを自分の責任として引き受ける覚悟をするということです。恋愛も同じです。ほんとうかどうかわからなくとも、その言葉を真に受けて相手の中に飛び込んだ時にしか開けないつきあいがあると思います。(もちろん、飛び込まないほうが良い場合があることは言うまでもありませんし、その判断能力も必要です。)

   M.エンデの「はてしない物語」で、探索の旅に出かけた少年アトレーユは3つの神秘の門の前に立ちます。3つの門を通ってその奥に住むというウユララに会いにいこうとするアトレーユに地霊小人は説明します。
   「第二の門は第一の門をくぐりぬけてはじめて存在する。第三の門は第二の門をあとにすれば、存在する。そしてウユララは第三の門を通りぬければ存在する。それ以前にはどれもみなない。」
   門は凱旋門のように門だけでたっており、横を回ってその門の向こうにいっても、こちらと同じ世界が広がっているだけなのです。正面から門を通り抜けることができるとはじめて全く別の世界に入ることができ、それを繰り返して初めてウユララに会うことができるというのです。そして、第一の大いなる謎の門は扉がないためつねに開いているのに、たいていの人は通り抜けることができないらしいのです。第二、第三の門はもっとわかりにくく、入ったきり戻ってこない人もいるし、そこから帰ってきた人はみな沈黙してしまっているらしいのです。それに、「学問をやっているから・・・・自ら危険なことに身をさらせないという地霊小人には、どうして賢明なものや勇敢なものでも通れない」ことがあり、「まぬけなものや恥ずべきよたものなんかが通れる」ことがあるのか、わからないのです。でも、アトレーユは門に順に入ることができ、第二の門を入ってはじめてウユララの歌声を聴くことができました。病気の人は、この門を通って、そこでしか聞こえない自分の声を聞いてくれる人を待っているのではないでしょうか。
   「つらさの只中にいるときに、(温かい)声をかけてくれた友だちの言葉で、(良い意味で)その人のことがはじめてわかった」という経験を友人が話してくれました。声をかけてくれた友だちはその時、門を正面から入ってきていたのでしょう。少なくとも声をかけた瞬間、その友だちはつらい経験をしている人のことだけを考えていたはずです。
   医療の場のつきあいも同じです。そのような瞬間の積み重ねがケアです。(2013.7)

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