東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.138

はじめで決まる

日下隼人    3月に停年になって「さて、これからどうしよう」と考えて、自分がこれまで書いてきた本や文章を読み返してみました(これってナルシシズム?)。これまで書いてきたものを通読することで自分の軌跡を自分なりに確認することができたのですが、同時に30年前に初めて書いた本(「子どもの病む世界で」)から問題意識は変わっていないことに気付いてしまいました。現在考えている問題のほとんどについて、30年前には多少なりともすでに書いていました。つい最近気づいたと思ったことも書いてあったので少しがっかりしました。問題意識が30年を経て深まったところはあるにしても、30年前にはぜんぜん見えていなかったことが今になって分かったということは決して多くはありませんでした。文章は、今の方が整っていると思いますが、それも良いことかどうか。荒削りの文章の方が、訴えるものがあるという気がします。
   1冊目の本は、医者になってから6年ほどの間の経験を基に書いています。あの頃、医学・医療になじめない思い=違和感を抱えながら、その違和感と対決しようと夢中で患者さんとつきあっていました。大概のことは、そうした夢中さの中で気づいてしまうもので、年をとったから新しいことがわかるということではないようです。年をとることで「わかって」いたことへの理解・思いが深まるということはあるでしょうが、それも、歩み出した時の思い(違和感を含む)の質とその思いへのこだわり方に依るのではないでしょうか。
   医療の場では、感性は、磨かれてシャープになるというのとは違うのかもしれません。医療者にとって、その感性はこの世界を歩み出した時がいちばん鋭くて、違和感も一番強くてシロウトの感覚も一番濃くて(つまり患者にいちばん近くて)、初心をまだ覚えていて、それが時とともにすり減っていくのが普通です。医療の場(に限らず社会)の強さ(同調圧力)はそうしたものですし、患者さんへの「上から目線」が身に付くにつれて初心はすり減ります。「若いから、人の気持ちが感じとれない」と言われることが良くありますが、きっとそうではありません。「人の気持ちが感じとれない」若い人がいるとしたら、「若いのに」ということが問題なのです。医療の場で感性を磨くというのは、自分の思いや医療への違和感が薄れていくことを自覚しつづけ、ささやかなりとも「抵抗」し続けることだと思います。そうしつづける時にしか、さらに深いことは学べないでしょう。だからこそ、最初の2年間の様子(変化)を見ていると、だいたいこの人はどのような医療者になるかが見えてしまいます。

   医療者の最初の数年は、その一生で最も大切な時です。そこでの患者さんとのつきあいの深さによって、その後の患者さんとのつきあいは規定されます。知識や技術をまず身につけてから患者さんと深くつきあうのではありません。知識や技術が乏しいからこそ、必死で患者さんとつきあいます。患者さんと丁寧につきあい、患者さんのことが好きになれば、そこで自分のベストをプレゼントするはずです。それは、自分の恋人や大切な人には形も心も自分のベストをプレゼントするのと同じです。目の前の人への精一杯の思いが患者さんを医学的に支援するための医学知識や手技を向上させます。この患者さんは、抽象的な患者さん一般ではなく、目の前の名前を持った具体的な一人の人です。
   医療者の教育とは、患者さんとのそのようなつきあいを促し、保障することです。そこで「道に迷う」ことがあっても、見守ることです。少し「道に迷う」「回り道をする」ことは若い人たちの「権利」であり、それをできるだけ(患者さんに危害が加わらない範囲で)見守って、必要な時に過不足なく手を添えることが私たちの「義務」です。若い人の感性の輝きを、長くこの世界にいるという人生経験によって「曇らせて」しまわないように心がけ、迷っていることを「見守り」続けていれば、「道に迷っている」患者さんを支える医者が育ちます(と、思い込むのが教育です)。
   「正解にいかに早く辿りつくか」を教えることが流行ですが、私たちが回り道をしながらその正解を手にした過程のほうが本当はもっと大切です。打てば響く=パターン認識の診断・治療を学ぶことも必要ですし、ガイドラインも知っていてほしいし、手技もうまくなってくれなくては困りますが、個々の具体的な患者さんとのつきあいと切り離した教育は調教でしかありません。そして、嬉々として調教された人は、人(ここには患者さんも入ります)の調教を嬉々として行うようになりがちです。
   医療者は誰もが、何もわからなかった新人の時の患者さんとの夢中のつきあいが、一番輝いていたと感じているものです。忘れてしまっている人であっても、患者さんとつきあったという思い出が、どこかで医療者としての人生を支えているのです。

   はしかを避けるためにひと夏をおじさんの家ですごしたトムが自分の家に戻る日、彼はその家の上の階に住むバーソロミューおばあさんに別れを告げに行き、「相手がまるで小さな女の子みたいに、両腕をおばあさんの背なかにまわして抱きしめていた」。
   トムは毎夜、家の戸を開けて庭に出て、そこで少女と遊んだ。その庭は、実はバーソロミューおばあさんの夢の中に出てくる庭で、その少女は幼い日のバーソロミューおばあさんであった。トムはおじさんの家での滞在が終わる直前に、そのことを知る。時間の秩序を超えて僕たちオトナと子どもとのつきあいはあり、医療者と病者とのつきあいはある。そこで、僕たちが子どもたちや患者さんに抱きしめられていることのほうが、はるかに多いのではないでしょうか。
   「トム、そのときだよ。庭もたえずかわっているってことにわたしが気がついたのは。かわらないものなんて、なにひとつないものね。わたしたちの思い出のほかには。」(P.ピアス『トムは真夜中の庭で』高杉一郎訳 岩波書店、1975)(2013.8)

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