もう41年も前のことです。医学部の6年生になって、BST=Bed Side Teaching(今は、Bed Side Learningと言います、主語が変わったのです)が始まりました。今のBSLとは違い2週ごとに各科を回るシステムだったのですが、5年間ろくに勉強していなかった私は、隔週の土日に、はじめて開く教科書を必死に読破する「苦行」が続きました。
実習では、私はともかくどの科でもベッドサイドに行き、患者さんとお話しすることを心がけました(それしかできることがありませんでしたから)。その結果、小児科の受け持ち患者さんとは数年にわたる長いおつきあいをさせていただくことになりました(小児科医になろうと思っていたので、小児科の授業にはほとんど出ていませんでした)。泌尿器科の初診の患者さんの問診をしたときには、聞き方がうまいと褒めてもらいました。こうしたことは、今コミュニケーションについて考えていることとつながっているようです。
最初の科は内科で(内科だけは勉強していました)、ご高齢の男性の患者さんを担当しました。患者さんから戦争の時の話をずいぶん聞いてきた私が、カンファレンスで「患者さんの話を聞いてあげるのも疲れますね」と言ったところ、指導医の先生から「聞いてあげると思っている間はダメなんだよ」と言われました。その時から、私は患者さん(研修医についても)のことについて「・・・してあげる」とは言わないことを心がけるようになりました。後になって、この先生(土屋滋先生・後に筑波大学教授)とは医学教育学会で再会し、以降親しくさせていただいたのですが、そのことがなくとも、あの一言だけで私の恩師です。学会の折に、感謝の念を込めてこの時の思い出をお話ししましたが、もちろん覚えておられませんでした。
2冊目の本「小児患者の初期診療」を書いたとき、私は本文の何か所かに「させる」(「このような場合は、帰宅させて良い」というように)をまだ用いていました。それを畑尾正彦先生(現在、医学教育学会名誉会員。先生とは、その前から現在まで医学教育でずっとご指導いただいています)から、不適切だと指摘されました。ちょうどそのころ、当直の時に、救急外来から「患者さんが来ている」という連絡をナースステーションで受けたときに、「ちょっと待たせておいて」と言った私に、「待たせる」という立ち位置が上から目線でおかしいと親しい若いナースが指摘してくれました。それ以来、私は患者さんのことについて「・・・させる」という言葉を使うことをやめました。
今の病院に来たとき、子どもたちからとても慕われているお掃除の「おばさん」がおられました。その姿は、今でも私にとっては子どもと関わる時の憧れです。
恩師とは、職種や年齢には関係ありませんし、言葉の多寡とも関係ありません。ふっと口をついて出た言葉が、その人の生きている姿が、ある人の一生を支えます(反面教師の場合には、なおさらです)。私にとって研修医たちはみんな恩師です。患者さんとそのご家族が一番の恩師であることは言うまでもありませんが。私は「恩返し」ができていないのですが。
「あるいは、こう問うてもよい。大事なものとは、大事にするひとによっても、大事にされるひとによっても、まだ知られていないものなのではないか、と。理由は不明なまま、ひたすら大事にすることによってそれは生まれるのではないか、と」(鷲田清一「〈ひと〉の現象学」筑摩書房2013) (2013.8)