東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.141

一緒に歩いてくれる人(続)

日下隼人    No.136で、より子の「病気というのはほんとうに自分ひとりでは乗り越えられない大変なものなんですね。そのときに、パートナーだったり、仲間だったり、友達、もちろん先生もそうですが、とにかく一緒に歩いてくれる人が必要です」という言葉を紹介しました。
   医療者とは、病者の心と言葉や行動のうごめきをトータルに肯定的に受けとめ、支持し、見守り、手助けようとする人のことです。そうでない人は、医者ではあっても医療者ではないのです。「精神療法家というものは、傷つき悩むクライエントにとって最後の『自由』を守る空間と自由を保障する人間の一人なのだ」と山中康裕は言いますが(『少年期の心』中公新書)、この「精神療法家」は「ケアする者」と置き換えることができます。
   見守ることは、親しい人の間でしか成り立ちません。職業的に病者と出会う私は、はじめから親しい人というわけではないのですから、さしあたりは、病者が病むという事態の中で生きるプロセスをそばで黙って見守りつづけながら、職業的に求められる援助をきちんとしていくことしかできません。そばで見守っていることを病者に感じ取ってもらえた時に、はじめて私は親しい人の一人になることができ、そこからともに歩み出すことになります。
   その人のありようがどんなものであれ、個々の現象には、自分の考えや知識から善悪のレベルでの一方的な価値判断を簡単には下さず、できるだけ好意的に考えようとすること。さまざまにうごめく病者の言葉や態度の一つ一つの奥に、「生」の大きなうねりの中でアイデンティティを守ろうとしている病者の気持ちを見て、現にある病者の姿はそれ以外にとりようがない生の形としてありのままに受容すること。これが、「肯定的に受けとめる」ということです。
   私たちにできることは、その人なりの人生の流れとしてその人の思いを最大限に尊重し、病者の自己正当化・自己肯定の物語を描く過程を妨げないことであり、少しでも描きやすいような状況を作ることです。病者はこの過程を孤独に、自分一人で成し遂げるしかありません。「温かい人間関係」「病者の思いと生きる」ということは、病者の作業の邪魔をしないように最大限の配慮をする中で、患者にそばで見守っていることを感じ取ってもらったときに、はじめて生まれてくることなのです。
   病者のアイデンティティを支持し肯定していくことを通して、医療者のアイデンティティは病者のアイデンティティと切り結ぶことになります。そのようなかかわりが深まることを自らのアイデンティティの深まりと感じ取れることが、医療の場で働く意味を形成します。M.メイヤロフは「他の人々をケアすることをとおして、他の人々に役立つことによって、その人は自身の生の真の意味を生きているのである」と言い、また「相手の成長をたすけること、そのことによってこそ私は自分自身を実現するのである」とも「私は、自分自身を実現するために相手の成長を助けようと試みるのではなく、相手の成長を助けること、そのことによって私は自分自身を実現するのである」とも言っています(「ケアの本質」ゆみる出版)。
   病者のうごめきを見守るうちに、その姿勢を感じ取ってもらえた病者と、私との間に少しずつ生まれてくるつきあいの全過程が、ケア=医療なのです。
   病者が、私の身守りを感じ取り、それを多少なりとも支えとして歩き出そうとした時から、私は、いったん崩壊した病者の人生設計(=物語の書き直し)を見守る人でありながら、その物語の筋書きの流れに欠くことのできない登場人物でもあるという二重の存在となります。私は、病者につかず離れず、地図を片手に同じ方向に向かって、初めての町を歩き出す、見知らぬ街を歩く心細さを私自身も噛みしめ、寂しさを感じながら、私は病者を見つめて歩くのです。
   病者が書き直す物語はその人ごとに違うものですから、見守りながら歩む私自身もそのつど自らの物語を書き直し、変わっていくことになります。病者の存在により、私は自らの心が問われ、生きかたが問われます。同じように生きる人間として、孤独に物語を書き直す病者を見守り、自らの新しい物語を書き直すということは、自分自身の生きる意味(=アイデンティティ)をそのつど見つけ直すことです。それを可能にするのは、経験の重みではなく、そのつど新しい物語を生きることにワクワクする、弾むような心です。新しい物語を書くことに私の心がときめかなければ、なにも生まれないのです。
   病者と私とが、それぞれ自らの物語を書き直すという作業を同時に行うことにおいて、そこにかよわく危うい人生を生きる者どうしのある種の連帯が生まれます。ともに歩くということは、ともに変わるということであり、ともに1つの物語を書くことです。私は他者の生と関わることで自らの生きることの意味を手にすることになり、このようなつきあいの中で、私も病者にケアしてもらっているのです。
   ただ、このような出会いは一部の患者さんとしか生まれないのものですし、自分の出会うすべての患者さんとこのように付き合おうとすれば燃え尽きてしまうしかないのですが。 (2013.09)

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