東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.142

甘えてはいけない?

日下隼人    病者を「肯定的に受けとめる」という姿勢は、病者を「甘やかす」といわれることがあります。でも、“甘え”は人と人との円滑な関係を保つことを付き合いの基本とせざるをえない狭い島国、とりわけ病いを介しての人間関係においては、きわめて重要な要素なのです。岸田秀は日本人にとっての甘えはあらゆるポジティブな関係の基盤であると言い(『幻想の未来』河出書房新社)、木村敏も甘えを日本の対人関係の基本属性として肯定的に評価しています(『人と人との間』弘文堂)。
   人は誰にでも甘えるわけではありません。甘えられそうだと判断した人に甘えるのであり、そこには病者の選択があり、そのことをとおして相手を見きわめようとする意志があります。また、甘えることで人は恭順の意をあらわし、それゆえに温かい庇護を求める意志を表わすという面もあります。甘えられた医療者は吟味され選ばれた人であり、その思いに応えることは豊かなつきあいを生み出す入り口をくぐることでもあるのです。日本の人間関係においては、このような段階を抜きにつきあいが進むことは難しいのではないでしょうか。医療者と病者の付き合いが進んでいく場合には、医療者のほうは甘えを拒否したつもりになっていても、病者はそのような医療者に甘えているためにつきあいが進んでいることが多いはずです。それに、医療者が無意識に患者さんに甘えていることの方がずっと多いものです、そのことに気付かず患者さんを非難する医療者が何と多いことか。

   研修でも子育てでも、できるだけ甘えられるところを多くする方が良いと私は言っています。どうせ一から十まで、甘えることはできないのです。甘えられるところはできるだけ甘えようとするとき、どうしても甘えられないところ、自分で甘えてはいけないと思うところが見えてきます。それが自分なりの研修の核、育児の核です。そこを大事にするために、甘えられるところは甘える、というので良いのです。「甘えている」と非難するのではなく、「甘えたくない」と思っているところはどこかを聞くことが、教育であり育児支援の核の一つだと言うこともできるのではないでしょうか。(2013.09)

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