東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.152

種明かし

日下隼人    151の言葉を受けて、「医療面接華やかな昨今ですが、結局はマニュアルで作られたものでは模範解答があって、学生はそれにいかに近づけるかという事に終始します」というコメントを書いている人がいました。
   OSCEのマニュアルに沿って教育していれば、その通りです。この場合、マニュアルにとらわれているのは教える方なのです。マニュアルに書かれていることをネタにして、先輩としてもっと伝えたいことはないのでしょうか、もっと伝えられないでしょうか。
   OSCEが終わったら「種明かし」をするのが、教育する側の仕事だと思います。私は、見学生たちにそのことを話していました。
   OSCEは、車の運転の実技試験のようなものです。実技試験は形だけでもできれば合格ですが、それだけでは実際に車は運転できません。でも、試験でチェックされることは、安全運転のために必要なことが込められています。どうして上り坂で徐行しなければならないのか、青信号に変わったら左右確認しなければならないのかは、実際に運転してみればその大切さが分かります(忘れて事故を起こすことが少なくありません)。同じように、試験で問われている形の奥にある、良い医療を提供したいという思いを学んで下さいとお話ししてきました。

   「自己紹介」と「時候の挨拶」をしてもらうのは、そのこと自体が大切なのではありません。患者さんは不安で、緊張しており、大変な思いをして病院に来ていることに思いを馳せ、その心を和らげなければ、患者さんは思っていることを話せないから、「どうぞ気をお楽に」という言葉と態度が必要だということを、こうしたことを通して知ってほしいのです。どのような言葉や態度で心を和らげるかは、自分なりの方法を考えてみてください。
   Open-ended questionをはじめにする必要はありません。最初だけopen 、後はclosedを立て続けにしてしまう人がいますが、それでは意味がないどころか逆効果です。初めはclosedでも良いのです。その方が患者さんは話しやすいことも多いし、その問いへの答えを聞く態度で患者さんは医療者を判断します。その態度で、この人には聴いてもらえそうと感じたら、患者さんはいろいろなことを話してくれます。Closed questionが続いた後に Open-ended questionが入ると、狭い山道を登ったところでぱっと視界が開けるような気分になって、話しやすくなるということがあります。そうした相手の気持ちを考えながら質問するのだということを忘れないでください。
   「聴く」ことは大事だけれど、あんまり真剣な表情で迫ってこられたら、そのときにも自分の思いを話すことはできなくなります。「耳と心を傾けて聞く」ということですが、相手の話を白紙の心で聴くのは簡単ではないのです。医者なんだから、医者のフィルターが掛かって聞いてしまいます。カルテに書く必要のない話は、聞き流してしまいます。聴いているつもりでも、聞き逃してしまうことがいっぱいあるのです。そのことを忘れないでほしいのです。それに、「聴こう」と必死な顔をされても、患者さんは困ります。さりげなく聞きながら、大切なことをきちんと聴くことが大切です。それって、親しい人の間では普通のことですね。
   丁寧に聴くと、その患者さんの問題点が見えてきます。そのポイントについて「訊く」ことが可能になります。その時、患者さんは「よく話を聴いてもらった」と感じ、「自分の一番の問題を訊いてもらえた」と感じます。適切な「質問」を訊かれた時に、よく話を聴いてくれていたのだとはじめて感じます。(この段落は神田橋條治氏の言葉を借りています。)
   「共感的な言葉」なんて無理して言う必要はありません。患者さんの話を聞いていて、「大変そう」「つらかっだろうな」と心から思い、つい口をついて出てしまったというような時だけ言えばよいのです。そのような時の言葉は、間違いなく共感的なものとして受け取ってもらえますが、そうでなければ「嘘っぽい」と思われるだけです。でも、ほんとうに共感的な態度というのは、相手の話を心を込めて聴くことであり、自分の言葉を何とかして相手に伝えたいと一生懸命に話す態度なのです。そのことが大切だということを学んでほしいのです。「共感的な言葉」を言うことがOSCEの点数になるというのは、それくらい大事なことなんだよという意味なのです。それに加えて、普通に暮らしている人間としての言葉(医者の言葉でない)があると、なお良いですね。
   「お話をまとめますと」「何かほかに話し残したことはありますか」と決まり文句のように言わなくてもいいのです。でも、大切な人の話を聞いていたら、その人の思いを自分が受け止められているか気になりますし、相手に確認してみたくなりますね。だから、ここでわかってほしいことは、相手の人が自分にとって大切な人だと思って話を聴くことなのです。患者さんは、不安や緊張から絶対に思っていることを全部は話せないものです。医者の言葉を聞くことで新たなモヤモヤが生まれますが、それを言葉にするだけの余裕はありません。こうした質問をするように求めているのは、こういう患者さんの状況を忘れないでほしいという思いからなのです。こうした質問を通して、「医者が自分のことを気にかけてくれている」ということを感じて、患者さんはホッとするのです。どうすれば患者さんにホッとしてもらえるか、そのことを気にかけて患者さんと接してほしいという思いが、ここには込められているのです。

   模範解答を教えるだけでは、教育ではありません。型を学び、そこから自分にあった良い型を作り出し、さらには型を意識せずに自然にそのように振る舞えるようになるための(芸事で言う「守破離」です)、第一段階の第一歩としてOSCEを通して学んでもらおうとしていること、そのような型の奥にはこれまでの人の暮らし方と先達の思いが込められていることは、言葉として伝える必要があると思います。
   はじめは「型」であり「スキル」です。でも、心のない「型」は見透かされます。先日、私はコミュニケーションスキルが透けて見える手紙をもらいました。スキルの勉強をしていなければ気持ちよくなっていたのかもしれませんが、スキルが見えるととたんに不愉快になります。「ここは、コーチングの言葉だな」などと感じながら手紙を読んでいると、その人の依頼に応えたくなくなってしまいました(実際には手紙をもらう前に書かれていたことを済ませていたのですが、順序が逆ならへそ曲がりの私はあえてやらなかったかもしれません)。でも、コミュニケーションのスキルは実は誰もが知っているので、その奥の誠実さが感じられなければ、どのような場合でも、スキルから自分を操作しようとする「下心」が見えて不愉快になってしまいます。会話分析でも、自分が「分析対象」になっていることが感じ取れてしまうので、やはり不愉快です。だからこそ、コミュニケーションは「相手の人への敬意と適切な親しさ」が大切なのです。技法を知った上で、技法を後ろに退かせることは、敬意の仕事です。

   料理がうまくできない時、素材が悪いのか調理が悪いのかは難しいところです。良い素材からおかしな料理を作ってしまう人もいますし、ありふれた素材から美味しい料理を作る人もいます。人工調味料で味をごまかす人もいます。どのような教育技法であれ、それを自分の思いを伝えるための素材として調理を工夫することに、教育の面白さがあるはずです。そんな姿を伝えることも、教育です。(2013.12)

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