東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.153

惚れた弱み(再度)

日下隼人    151の続きです。
   「面接練習をしている暇があったら『合コンに行け』と学生に言う」とも書かれていました。合コンが良いとは言い切れないと思いますが、コミュニケーションは恋愛の場面を考えると分かりやすいと思うので、その意味では悪くない言葉だと思いました。でも、合コンのノリよりは、真剣な交際の方があてはまると思います(スタートは合コンかもしれませんし、同級生同士・部活友だちも一種の合コンですが)。
   好きな人と話すとき、コミュニケーション技法は駆使されます。適切な距離で、相手の顔を見て、相手の話を一生懸命に聴いて、頷いて、相槌を打って、表情にも気を遣って、共感的な言葉を差し挟んで、肯定的な言葉を贈って・・・。話すときには、声にも言葉の調子にも気を配りますし、自分の思いをわかってもらうためには何度でも、分かりやすい言葉を選んで話します。
   「ある行為者が相手の行為を含む諸対象の意味を解釈しながら、自らの行為をその意味に基づいて方向づける相互作用のなかにある社会」「有意味シンボルの本質的特性は、相互作用の安定化を保証することではなく、むしろその新たな道筋での展開を保証することにある」といった社会学の言葉(「シンボリック相互作用論の世界」恒星社厚生閣)を読んでも、「恋人同士なら当然そうしているよね」というレベルで私は納得してしまいます。
   でも、相手の意味の解釈を誤ったり、自らの行為をその意味と関係なく方向づけてしまう人は、ストーカーになってしまいそうです。
   「汝の意思の格律が常に同時に普遍的立法の原理となるようにせよ」、つまり「君のその行為をみんながしても世の中は困ったことにならないか」(と言い換えてしまって良いでしょうか)という問いかけからはストーカーは許されなくなります(そうでなくとも許されませんが)。医療の場でのいろいろなことも、このように問い直すことができそうです。
   「汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、常に同時に目的として使用し、決して単に手段として使用しないように行為せよ」。政略結婚や金目当て・からだ目当ての付き合い、自分に都合よく相手を利用するだけの付き合いはダメだよ、相手の人をかけがえのない人間として大切にした付き合いをしなさいと、カントが言っているような気がします。「君のことが好きだから、好きだ」というのは定言命法です、たぶん。そんなふうに考えてみると、コミュニケーションも医療倫理にも親しみが湧いてきます(次元が低いと絶対に言われそうです※。それにカントは生涯独身でしたし)。
   こうしたことは「惚れた弱み」を原動力とします。患者より強い立場にいる限り、患者さんとのコミュニケーションは難しいのです。この「惚れる」は「人柄に惚れる」という意味であって、「たくさんの患者さん(や同僚)と恋愛関係になろう」と言っているわけではありません、念のため。(2013.12)

※中島義道は「日本人が自然に思考すれば、おのずからわかってくるかのように・・・カント倫理学をその字面だけで整合的に解釈してしまっている」と指摘しています。(「悪への自由」勁草書房)私は、そのもっとずっと下のところにいることは分かっているつもりですが。

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