東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.156

意を決して

日下隼人    「その薬、飲みたくないんですが」と希望を言ったら「ああ、私の治療を拒否なさるわけですね」と医者から言われたという経験を聞きました。「拒否」という言葉に「自分の勧めに従わない患者は悪い患者だ」という下心が透けてしまいます。
   「手術では助からない段階のがんで、免疫治療をしたいと言えば、(外科部長に)『お金に余裕があればどうぞ』と言われた。その病院名を言ったら、ガクッとした態度をされた。自分では治せないのに最低」とあるブログに書かれていました。この医者の動作と言葉に、家族は「自分たちの考え=藁にもすがる思い」が馬鹿にされている(わかってもらえていない)と感じ、医者から「困ったやつだ」と思われていると感じるしかありません。
   セカンド・オピニオンを別の病院で聞きたいと言われる時も同じで、医者はなにかしら自尊心が傷つけられた気がして、少し鼻白むところがあり、それが態度に出てしまうこともありそうです。「うちが信じられないのですか」という雰囲気を出してしまう医者はいっぱいいますし、言ってしまう医者もいます。その医者は、戻ってきた患者さんから「あの病院でも、先生と同じ意見でした」と報告を受けたとき、「やっぱり、そうだったでしょ」と鬼の首を取ったように返事していました。
   医師がこんな人種であることを患者さんたちは知っていますから、自分の思いを言い出すまでに、悩み、逡巡します。医師の心証を悪くするということはとても危険なことなので、万全の配慮をして、意を決して、話し出します。言葉は、絞り出されています。自分の言葉を絞り出そうとしている時、医師の言葉はきっと耳に入っていません。絞り出した後の医師の言葉も耳に入らないことの方が多いでしょう。医師の言葉は空中に拡散するだけです。そのことに医療者は気づきません。お互いに言葉は伝わらず、患者さんには徒労感だけが残ります。「先生のお話、おわかりになりましたか」という看護師の言葉が追い打ちをかけます。

   双子の未熟児で生まれたお子さんの一人が視覚障害になる可能性があるということを、医師から告知され・・・・その医師から「次はいい子を産んでください」と言われた母親の手記。
「私は、次の子どもと幸せになりたいんじゃない。今、目の前にいるこの子たちと幸せになりたいのだ。けれど、それをどういえばこの医師は分かってくれるのだろうか。なにかを言ったところで、『障害児を育てることになった母親が、やけに強がっている』と思われるのではないか・・・、思われたって別にかまうことはないのに、そのころの私は、そんなひとことを言うのにも、いろいろなことを気にしていた。(中略)
   黙っていてはいけないのだ。笑ってごまかしてはいけないのだ。それでは、我が子が『いい子ではない』ということを認めたことになるではないか。息子は、生まれてから3ヶ月間、ずっと痛い思いや苦しい思いをして、それでもりっぱに堪えぬいて、生き抜いてくれたのだ。そんな息子が『いい子』でないはずはないのだ。否、たとえ力尽きて助からなかったとしても、どの子もみんな、大切に『いい子』なのだ。『次はいい子を』という言葉を、私は黙って聞いていてはいけないのだ・・・。(中略)
言わなければ。
胸がどきどきする。どういえばいいのだろう。何度も話そうとするのだが、喉の奥でことばは止まってしまい、涙が出るばかりだった。
『いいですね。次はいい子を産んでくださいね』医師はまた繰り返した。
その時私は、自分で自分の背中を押した。
『あのっ・・・・』
ごくりと唾を飲みこんで、私は医師の目をまっすぐに見つめた。そして、できる限りの笑顔で、一気に続けた。
『ふたりとも、いい子です・・・』」
   (玉井真理子「遺伝相談と心のケア」小児科54:1403-1407,2013から引用。 原文は、柴垣美代「この子が『いい子』なのです」助産婦雑誌 56:365-369,2002)

   医療倫理とコミュニケーションについて、この一文にすべてが込められています。患者さんがセカンド・オピニオンについて言いだした時、医師の勧める診療方針とは違うことを希望した時、医師の言葉に異を唱えた時、「面白いつきあいが始まりそうだ」とワクワクする医師が増えると嬉しいのですが。 (2014.1)

▲コミュニケーションのススメ目次へ戻る        ▲このページのトップへ戻る

 

プライバシーポリシー | サイトマップ | お問い合わせ |  Copyright©2007 東京SP研究会 All rights reserved.