東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.159

そばに居続ける

日下隼人    あの2011年3月の、大阪大学卒業式での、時の鷲田清一総長の式辞の一部です。
   「阪神淡路大震災のときに、わたしは当時神戸大学の附属病院に勤務しておられた精神科医の中井久夫先生から一つの言葉を教わりました。copresence という言葉です。中井先生はこの言葉を『いてくれること』と訳し、他人の copresence が被災の現場でいかに重い意味をもつかを説かれました。
   被災直後、中井先生は地方の医師たちに救援の要請をなさいました。全国から多くの医師が駆けつけたのですが、中井先生はじめ神戸大学のスタッフが患者さんにかかりっきりで、応援団になかなか交替のチャンスが、回ってこない。そのうちあまりに長い待機時間に小さな不満が上がりはじめたとき、中井先生はその医師たちに集まってもらい、『予備軍がいてくれるからこそ、われわれは余力を残さず、使いきることができる』と語りはじめました。そして、『その場にいてくれる』という、ただそれだけのことが自分たちのチームにとってどれほどポジティヴな意味をもつかを訴えられたのです。
   じっと見守ってくれている人がいるということが、人をいかに勇気づけるかということは、被災の現場だけでなく、たとえば子どもがはじめて幼稚園に行ったときの情景にも見られることです。子どもがはじめて幼稚園に行ったとき、母親から離れてひとり集団のなかへ入ってゆくときの不安は、だれもが一度は経験したはずです。ちらちら母親のほうをふり返り、自分のほうを見るその顔を何度も確認しながら、恐る恐るやがて仲間となるはずの見知らぬ他者たちの輪のなかへ入ってゆく・・・・。
   人にはこのように、だれかから見守られているということを意識することによってはじめて、庇護者から離れ、自分の行動をなしうるということがあるのです。そしていま、わたしたちが被災者の方々に対してできることは、この見守りつづけること、心を届けるということです。」
   この言葉に送られた人たちが、もう後期研修に入っています。

   患者さんのそばに居続け見守り続けたら、それがケアです。とりとめない会話しかしていなくとも、患者さんに気を遣ってもらうばかりでも、逃げ出さずに(病床から離れたそうな足位置をとらずに)そばに居続けることが患者さんと私たちをお互いに支え合います。でも、そばに居続けることは簡単なことではありません。
   そばにいるとき、相手の人が何を考えているのかわからないことに「堪え」なければなりません。相手の人のことが「わかった気」がしないと不安になり、ケアを躊躇することも少なくないかもしれません。しかし、「わかった気」がした時、もっとたくさんの「分からない」が生まれているはずです。理解しようとする姿勢が「理解」を妨げもします。ほんとうに辛い時に人は言葉に表すことができず、言葉に表せるようになったとき本当につらいことは記憶の奥にしまいこまれ、言葉に表したとたんその何倍もの言葉にならない思いが(混沌の中から)生まれ、その新たな思いのためにまた人の気持ちは変わります。言葉にしたとたん、人の思いはその言葉からボロボロこぼれてしまいます。ナラティブが流行ですが、語った瞬間、そのことで患者さんの思いは、語る前の思いとはずれていきます。自分の言葉で何かが「わかってしまった」らしい医療者の顔を見て、その患者さんの思いはまた、ずれます。語られた「物語」は、患者さんがそのように「思い込みたい」ものであるのかもしれませんし、医療者に提供したい「仮面」かもしれません(「仮面」を自分でも本当の顔と思っていることも少なくないことが、事態をいっそうわかりにくくしているのですが)。
   「わかった」と思ったとたん、その枠組みの中でのケアしかできなくなります。語られた言葉を聞いて患者さんに近づいたと思うことで、同じくらい患者さんから遠ざかってもいるのです。「わかった」という思いで患者さんと接する時、すでにその「わかった」根拠がずれ、またあらたな「わからなさ」が生まれます。相手の話を聞き、その人と話す瞬間に、「理解」は絶えず変容していきくます。言葉にすることでまた言葉から落ちるものがあることを感じ、その感じに自身がとらわれざるをえないことがさらに自らの「理解」を危ういものとします。相手の人を理解しようとすることは、安心にはつながらず、むしろ自分を不安定にすることなのです。「理解が深まる」とはそのような不安定な中に身を置いて患者さんと共に生き続けていくプロセスのことなのではないでしょうか。「世界は私に開かれているのではなく、私たちがあってはじめて世界も私も開かれる」(鷲田清一「現象学の視線」)。

   そばに居続けることで否応なく何かが「わかってしまう」ことが、また私たちの心を安らかにはしなくなります。この「わかる」は、そばに居ることで自分の内側から避けがたく沸き起こる思いを自覚することであり、その自分の思いに自分が巻き込まれます(「身につまされる」とは、このようなことではないでしょうか)。この思いは、分節化・言語化しつくされるものではありません。この思いは、患者さんの思いと共鳴し、同時に隔たりを思い知らせます。共鳴は私たちにのしかかり、隔たりがまた私たちを不安定にします。適度な位置取りと、肩の力を抜くことが肝腎なのだと思いますが、そう簡単ではないことが私たちの意気を阻喪させがちです。
   「わかった」と感じたことについて、同じように患者さんと接してきた者どうしがカンファレンスなどで話し合ってそれぞれの理解を確認し深めていくことはあるでしょうが、むしろその場が、それぞれの理解の隔たりを思い知らされ、自分にしか「理解」できなかったことを自分の身においてひとりで引き受けて患者さんと付き合いつづけていく決意を迫られる場であることも少なくないはずです。それは孤独な立ち位置にとどまるということですが、その立ち位置が確かなものかと問い続けながら、そこにとどまり続ける(そんなふうに危い基盤の上に身を置き続ける)という意思を持つ時、「徹底的に孤独な」病者とつながる途が開くのかもしれません。 (2014.2)

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