東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.163

先生に会えて良かった

日下隼人    「受け持ち医を変えてほしい」という希望が患者さんから述べられることはそう多いわけではありませんし、訴えてもあまり聞き入れてもらえるものでもありません。インフォームド・チョイスは語られても、ドクター・チョイスは語られません。ドクター・ショッピングという言葉が否定的な意味あいでしか語られないのも不思議なことです。
   入院の場合、担当医は自分の意志とは関係なく決まってしまうことが大半です。学校の担任だってこちらの意向に関係なく決められてしまいますし、結婚の相手だって無数の偶然の積み重ねの結果にすぎない(それと比べれば自分の決断はほんのわずかの比重しか占めない)のですから、人生ってそんなものなのだと思います。患者さんも、そう思っています。その思いをなだめるために、患者さんはいろいろな理由を見つけます。「自分の病気の専門だから」「優しそうな人だから」「人柄は良さそうだから」「出身校が良いから」「勉強はできるのだろうから」「言葉は悪いが、悪気はないから」「実力があるので、愛想を言わないのだろう」・・・・、と「あばたもえくぼ」に近い思いです。人生の最期の場面なのだから「少しでも満足できる、納得できるものとしたい」と思うからこそ、医師のことはできるだけ好意的に捉えようとします。閾は低いのです。できるだけ医者に歩み寄ろうとします。ということは、「先生に会えて良かった」と言ってもらってもその言葉に甘えてしまって良いわけではないということですし、「先生はいや」と言うのは相当に深刻な事態なのです。
   医師は人生の最期の場面・人生の一大事に出会う人であり、自分の生命を左右する特別な人です(学校の担任は1〜2年我慢すればよいし、配偶者なら別れることもできますが、命に関することは「まあまあ」とはいきません)。医師は必ず、患者さんから「この人に最期を看てもらってよいだろうか」と吟味されています。つきつめれば「この人に最期を看てもらいたくない」と思われるか「この人に最期を任せても、まあいいか」と思ってもらえるかです。どうしても「この人」に耐えられなくなったとき、「先生を変えてほしい」という言葉が巨大な逡巡の末に発せられるのですが、その逡巡が「わがまま」扱いされてしまうことも少なくありません。それだけに、その言葉を受け止めることは医療メディエーターの力を超えることも少なくないはずです。

   でも、本当に「この先生に会えて良かった」「最期の時、絶対にそばにいてほしい」と患者さんに思ってもらえることがあります。そのような時には、「この患者さんに会えて良かった」という医師の思いの方がもっと強いものです。医者の人生の幸せはこうした出会いの量に比例するのではないでしょうか。そんな時、コミュニケーションの技法はいつの間にか突き抜けられているものです(「突き抜ける」ことは技法をきちんと踏まえる時にしかできません)。
   「会えて良かった」という患者さんの言葉も、医師への好意的姿勢・大幅な歩み寄りから発せられていることの方がずっと多い。それでも、「よろこんで受け持ち医師に歩み寄りたくなる」「受け持ち医師を応援したくなる」という思いが、こうした言葉になっていることがきっとあります。そんなふうに思ってもらえるほど患者さんと付き合うことができれば、それはわたしたちのできるせいいっぱいのことなのではないでしょうか。私たちのできるせいいっぱいのことをしなければ、そんなに思ってもらえることはありえないと言う方が正しいでしょうか。そうした患者さんの思いを感じ取れた時に、医師の方も「この患者さんに会えて良かった」と心から思うのです。一人の人と丁寧に付き合うとき、そのなかで「人生で大切なこと」のほとんどを私たちは学ぶことになるはずです、一人の人生は一冊の図書館なのですから。
   若いときほど、このような出会いのチャンスは多い。若い医師の身構えが「未完成」であり、結果として患者さんにとても近いところにいるからなのでしょう(期待を込めて書いていますので、誰もがそうだということではありません)。出会いの形はいろいろあるでしょうが、この体験は医者としての一生のバックボーンになります。バックボーンは必ずしも時間と経験を必要としません。学生時代からそれまでの間に抱えていた混沌とした思いが凝縮して、一瞬でバックボーンが出来上がることの方が多いのかもしれません。この出会いは、その後の臨床医としての人生を支えます。研究者としての矜持を保つことを下支えします。生活者としての懐を深くします。

   とはいえ、目の前の患者さんに飛び込んでいくエネルギーと、そのとき自分の中から沸き起こる思いを見つめる省察力を併せ持っていなければこのような出会いは得られません。飛び込む決断や省察を促すのも、飛び込むことを応援するのも見守るのも、指導者の仕事です。卒後臨床研修の到達目標にこのような「出会い」のことは書かれていません。文字として表現することも「評価」することも難しいことだから仕方ないとは思いますが、指導者が心の中に持っているチェックリストにその欄があれば、若い医師の後押しはできます。この「出会い」を2年間で1度でも経験すれば、初期臨床研修はその一番大切な目標を達成しているのだと言いたい。若い人たちのそのような「出会い」を羨む心をもち続けたい。 (2014.04)

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