東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.164

せめて

日下隼人    Dr.GというTV番組のファンは少なくありません。研修医(に限らず医者)は病名当てクイズが大好きです(嫌いでも困りますが)。受験勉強で、答○○と書けば「一丁上がり」で、「やったあ」という感覚の延長のような感じです。「誉めて、誉めて」と言いたいくらい。それで「正解」にたどり着いた医師は「意気揚々」と病名を言いがちです。検査結果とその解釈を述べる時も似たようなものです。「診断がつきました」と(どこか嬉々として)説明し、「それで、どうなるのですか」という患者さんの問いに「治療法はありません」と言うような「悲喜劇」が起きていないとは言えなさそうです。

   患者さんにとって、病名が付くことは「上がり」ではなく「振り出し」です。そのとたん、人生が一瞬で場面転換します。病名が付くことで、人は患者としての人生を生きるしかなくなります。患者から見える世界も、時間も、思いも、希望も、自分の生きるポジションも、すべてが変わります(人生の転機は、いつもそのようなものですが)。日常が持続する医者と突然非日常に投げ込まれた患者、通じ合わないに決まっているのに、医者はそのことに気づきません。患者さんは、その病名にまつわるもろもろの思い、これからの人生が見えないという根源的な不安に包まれます。その思いは医学の教科書には書いてありませんし、一人ひとりの思いは違うので、たとえ「病者心理」「病者行動」などの知識があっても(それも医者は学んでいない)、当の患者さんの見ている世界は知識と想像を超えています。
   在宅療養していた人が誤嚥性肺炎で亡くなれば、死亡診断書の病名欄に「誤嚥性肺炎」と書かれます。それは全く正しいものですが、最後の日々介護していた人たちにとって、この診断名は「自分たちの介護に手落ちがあったのではないか」という思い(負い目)をずっと残してしまうかもしれません。そのことも、医者には見えません。見えたとしても、別の病名を書くわけにもいきませんし、後々まで付きあうこともできません。
   手術のあいだ待合室でずっと下を向いて待っていて、術後に医師の説明を聴き、深々と頭を下げお礼を言う家族の心のなかに「不安に閉じ込められた宙ぶらりの時間」「頭を下げお礼を言う時の複雑な思い」がその後もずっと生き続けていくことを、結果を淡々と話す医師は気に留めないでしょう。
   患者さんや家族の「気遣い」「譲歩」に支えられて医師の仕事が可能になっていて、その気遣いの疲れが患者さんたちの記憶には残り続けるということにも、医師は気づきません。医師が患者さんのことを気遣えば気遣うほど、患者さんも医師のことを気遣うということも(人間関係なのですから、これは当然ですし、好ましい関わりではあるのですが)、見えなくなりがちです。
   家族の生死についての決断せざるをえなかった家族が(延命を選んでも治療中止を選んでも、本人の意志に従っても意思とは違う方針をとっても)「違う選択の方が良かったのではないか」という思いをずっと抱き続けていくこと、そしてその思いをいくぶんか和らげるのも逆に強化するのも受け持ち医の関わり方にかかっています。でも、未来から今を逆照射して自らの言動を律することは、誰もが疲れずにできるわけではありません。
   患者さんが亡くなった時「お世話になりました」とお礼を言って家族は帰っていきます。「感謝すること」が、極限状況の自分たちを支えます。それ以外のどのような言葉も自分たちの「崩壊」の危険を増しかねません。たとえ診療内容に納得がいかなかったとしても、「もうちょっと何とかならなかったのですか」といった問いは、その後の自分の心の蠢きを予感したら、怖くて言えない。家族が丁寧にお礼を言って帰った時、満足しているのは医療者だけだということを、医療者は気づきません。
   医療者になってしばらくの間は、そんなお礼を言われることに居心地の悪さを感じます。その若い力が、経験を積むことで削がれていきます。患者の無念さと自分の無念さを重ね合わせて自分の内に抱え込む力も、削がれていきます。削がれることが医者としての安定をもたらすのですから、そうした思いにこだわり続けるためには不安定な位置に身を置き続けるしかありません。

   患者の気持ちがわからなくても仕方ありません。でも、医者の行為は、どんなに誠意を持って、寝食を忘れるほど働いても、気付かぬうちに患者の心を傷つけてしまうものなのです。誠実さのない医師が信じられないのは当然ですが、誠実さも人を傷つける力をもっています(医療の場に限ったことではありません)。そのことだけ心に留めておけば、傷ついた患者が悲鳴を上げた時(しばしば医療者への攻撃となって表れる)、その人を罵ったり犯罪者と断じて、つきあいを終わりにしてしまうようなことは避けられるのではないでしょうか。
   「私の妹はリウマチ熱で死んだんです。私はその時12歳だったんですけど、妹が死んだとき、どうしても先生の顔が見られなかったんです。とても熱心で良くしてくれた優しい先生だったんですけどね」とある看護師が私に話してくれてから、もう35年が経ちました。医者というのは、たいして豊かな人生経験がなくとも、人の人生、人の心に土足で入り込んでしまう。患者は、自分たちにはわからない医学の知識を持ち、自分たちの生命も人生も左右できる医者という人種の入り込みを、「受益者」として受け入れるしかなく、感謝の言葉で関わりを終えるしかない。そこには、言葉にはならない悔しさ、やりきれなさが渦巻きます。心から感謝している場合でも、自分にも見えない心の傷が残り続けます。そんなことを伝える医学教育は生まれているでしょうか。

   「自ら深く悩み、慰められたことのある者でなければ他人をなぐさめられるものではない」(神谷美恵子)のです。が、そんな経験のないまま医師になる人の方がずっと多いでしょう。せめて、診断名を書くときちょっとペンが(キーボードを叩く手が)止まる程度にでも「躊躇」できる医師であってくれれば、医師と接する患者・家族が複雑な思いに包まれていることを知ってさえいてくれれば、何かが伝わり、それだけで患者さんや家族が救われることもあるはずです。(2014.04)

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