東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.165

挨拶とお礼

日下隼人    他人を威嚇するような高圧的な態度で人と接する「こわもて」な人がいます。他人に暴言や罵詈雑言、恫喝の言葉や捨て台詞を浴びせる人がいます。「上から目線」の言葉をなげかけることで、自分の優位を確保しようとする人がいます。このような態度は、多くの場合、効果的です。たいていの人は、そういう人との接触を短くしたいし、このような雰囲気に多かれ少なかれ圧倒されるので、相手に譲ることで事態の収束を図ります。「こわもて」の人は、そのことが成功体験となり、ますますそのやり方の「正しさ」について強化され、そのような態度を取り続けることになります。その姿を真似する人も出てきます。
   そんな人は、医療者にもいますし、患者にも、暮らしの中で周囲にもいます。でも、残念ながら、そこから良い関係は生まれません。自分を大切にしてくれていない人、敬意を払ってくれない人、「支配」しようとしている人と、心から付き合う人はいません。表面的にはどうであれ、心は開かれません。こわもてな人は相手が自分の思い通りになればよいのであって、相手が心を開くことなど期待していないのかもしれませんが、心が開かれなければますます体を固くして「思い通り」とは反対の方向に行ってしまうことも少なくありません。それは「北風と太陽」の寓話通りです。そんな人生があまり幸せなものでないと気が付いてくれると良いのですが、案外人生の「幸せ」はいろいろなところに転がっているので、そちらが満たされれば自分の「不幸」にも気づかず過ごせてしまいます。周りの人の「温かい」譲歩で生きているとはなかなか思わないものです。

   良い関係を作れそうな人を見分ける第一歩は、その人が挨拶とお礼をきちんと言えるかどうかだと、私は思うようになりました。それができても「ちょっと…」という人はいますが、できないけれど素敵という人はいません。「こわもて」な人はだいたいできません(時に礼儀正しい「こわもて」の人がいて、そういう人とのつきあいは難しいのですが)。挨拶とお礼なんて幼稚園か小学校の1年生で習ったことです。幼稚園のほうが、子どもの時に聞いた寓話のほうが、医学教育よりもずっと大切なことを教えているのです。ついでに言えば、歩き方・立居振る舞いにもその人の心が表れています(癖とは言えないのです)。表情にも、その人の心が表れます(だから「40歳を過ぎたら自分の顔に責任をもて」と言われます)。
   そうした教育を抜きにした医学教育・コミュニケーション教育は砂上の楼閣です。しばしば「人間性の教育は大学までの教育ですべきことで、いまさら研修病院などで出来ることではない」と言われますが、その言葉は人間の力を蔑視しています。人間は、何歳になっても、良くも悪くも変われるものです。「いまさら」というような指導医の姿勢は、「悪く」変わることを強化することにしかなりません。 (2014.04)

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