東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.166

雑談からつながる

日下隼人    医療コミュニケーションの本に、雑談の大切さが書かれているものはあまり見あたりません。でも、患者さんのことを「わかる」ことも、お互いが分かり合うことも、雑談の無いところではできないという気がします。研修責任者だったころ、私は日々研修医と雑談ばかりしていましたので、別の病院の責任者に「定期的面接はしないのですか」と問われて返答に窮したことがありました。先日、研修を修了した医師から、(ここで書いているようなことについて)「先生は2年間、少ししか言ってくれませんでしたね」と言われてしまいました。確かにね、「気が向いたらこのサイトを読んで」くらいしか言ってなかったなあ。

   No.71で、次のように書きました(少し変えてあります)。
   言葉を交わすことによる交際を、言語交際(phatic communion)と言うのだそうです。交わされる言葉の意味は副次的なもので、言葉が楽しく交わされる交際。恋人同士の会話、井戸端会議、飲み会の会話、などはそのようなものの代表です。患者さんとコミュニケーションをとるためには、患者さんと楽しく雑談することが必須のことなのだと思います。言葉のやり取りを楽しむつきあいの中で信頼関係が生まれそうです。 病者の楽しいこと、うれしいことを一緒に楽しませてもらうというところが出発点です。患者さんの楽しんでいることを、そばで一緒に楽しむ。患者さんと楽しく話せたら、その「時」を楽しむ。(自分の楽しいことを押しつけるのではありません。自分が先に笑ったら相手が傷つくかもしれませんし、自分たちだけが笑ったら周囲の人たちが傷つくかもしれません。そのようなことに気を配りながら、自分も楽しくなるということが、病者の楽しいことを大切にすることにつながります。) 病者の笑顔に、いつも微笑みを返したいし、その笑顔の生まれてきたところを大切にしたい。せっかく、その患者さんと出会ったのだから、その人と一緒に笑いたい。患者さんは、自分がうれしい時に一緒に微笑んでくれない人に、「自分の悲しみを共有してほしい」とは思わないでしょう。楽しい「雑談」がないところで、「情報集め」も「患者指導」もできないはずです。雑談の意味を私たちはもっと伝えなければならないのだと思います。    恋人同士の会話など、文字に起こせば他愛もない話の連続のことが少なくありません。でも、そのような会話がいくらでも交わせることが親密さの表れであり、そのことを通して親密さが確認されます。雑談を続けられることが楽しい。非言語コミュニケーション(眼を見合わせたり、手を握ったり・・・、ですね)ももちろん大きな役割を果たしますが、他愛もない言葉を交わすことこそが二人の関係を深めます。患者さんといつも恋愛関係になっては困りますが、構造は同じです。
   雑談には、「相手のプライバシーに入りすぎない」「自分のことばかり話さない」「話題を選ぶ(話さない方が良い話題がある)」といった作法があります。それに、「弱い」立場の人は「強い」立場の人との会話に最大限の注意を払い、「強い」立場の人の雑談が退屈なものであっても「歩み寄る」ものです(かどや・ひでのり「言語権から計画言語へ」『ことば/権力/差別』三元社 所収)。「楽しく雑談ができた」と患者さんに感じてもらえるためには、患者さんへの敬意と関心、そして自分自身の生活の豊かさが欠かせないと思います。

   でも、それだけではありません。
   このところ何度か引用した精神科医の神田橋條治さんは、「精神科講義」(創元社)の中で「聴くという作業は、・・・相手の話の流れに、自分が乗っかること」と書いています。雑談は、自分が話したいことを話すということではありません。呼び水を注ぐのはこちらだとしても、雑談の時こそ患者さんの話の流れにうまく乗ることが大切なのです。雑談も(こそが)ナラティブです。雑談が楽しくできてはじめて、人はその相手にちょっとずつ雑談に納まりきらないことを話しだすのではないでしょうか。そこで聞いた話を反芻していると、何かの言葉に引っ掛かってしまうことがあります。反芻するということは、自分の身を相手の立場に少しずつ移し替えていくということでもあります。
   引っ掛かる言葉とは、「重要な言葉・・・、一つでも重い言葉、何度も出てくる言葉、漢語(固い熟語)やカタカナ語」だと神田橋さんは言います。「何度も出てくる言葉」は、同じ言葉の場合も、言い方を変えて同じことを言っている場合もあります。こうした言葉は、ふとポロリと出てくることもありますし、「重要そうでない」雰囲気にくるんで出されてくることもあります。自分の価値観や自分の心理的傾向をいったん停止して聞かないと、言葉が繰り返されても聞き逃してしまいます。自分にとって苦手な言葉も聞こえなくなりがちです(それは、こちらの心の中で「抵抗(防衛)」が働いてしまう言葉かもしれません)。その言葉は「患者理解」への入り口に違いないのですが、気づかずに通り過ぎることも少なくありません。自戒を込めて。(2014.5)

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