東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.170

船が安定しなければ

日下隼人    母校の教授から「学生時代に先生から指導を受けました」と挨拶されることが何度かありました(いつの間にか教授たちがみんな年下になってしまいました、定年を過ぎているのですから当たり前ですが)。忘れたころに、「教育」は戻ってきます。あのころ、私は自分の患者を受け持つ学生に「子どもと遊んでおいで、小児科の実習はそれだけできれば十分だから」といつも言っていました。それは、私がBSLの時にしたことだからでもありますが、子どもと遊んで仲良くなれば、病気の勉強もしたくなりますし、病気のことが教科書の記載とは違って見えてくるからです。病気ではなくて人間のことが気になりだすはずです。が、「お兄ちゃん、きらい。あっち行って」と言われましたと学生が言ってきた時には絶句してしまいました。今なら「それでも何度か行って、お母さんと仲良く話してごらん。そうするとだんだん変わってくるよ」と言って親子関係についての洞察を勧めるところですが、その時に何と言ったかは記憶にありません。
   小児病棟勤務を希望する看護学生には「ファンタジーを読んでみたら。それが心から楽しめれば、小児科に向いていると思いますよ」とよく話しています。入院している子どもたちの時空はファンタスティックなものですから、異次元の時空を遊泳することを一緒に楽しめなければ(日常の論理でしか接することができないとすれば)、抑圧的な看護師にしかなれないでしょう(「親という仕事」も、子どものファンタジーにつきあうことなのだろう)。いや成人の場合でも、夢を見ることのできない看護師にケアされても楽しくないでしょうから、ことは小児に限ったことではありません。

   研修医の採用試験で私の面接は意地悪だと言われました。先日テレビで圧迫面接の例として挙げられていたものが、私の問いによく似ていました。そんなつもりは無かったのですが、みんな試験対策本などで勉強して、同じようなことしか言いませんので、学生が予想もしていなさそうな質問をしていたことは確かです。なかでも「読書が好き」という人には、文系人間の私はついいろいろ質問してしまいます。「社会学の勉強をしています」などと言ってくれると「ゴフマンは読んでみましたか」などと突っ込んでいましたし(「宮台真司を読んでいます」と言われた時にはちょっとだけ引いてしまった)、「カントとレヴィナス」について勉強しているという学生とは話し込んでしまいました。他の面接者は「また、日下の趣味が始まった」とあきれ顔で話が終わるのを待っていましたが、私が退職したために面接の平和度は上がっているようです。
   読書好きという学生には「2年間刑務所に入ることになって1冊だけ本を持って行って良いとしたら(or蔵書で1冊を除いてすべて捨てなければならなくなったら)どんな本を選びますか」とよく尋ねました(「2年というのは研修期間ですか」と訊かれたことがありますが、そのつもりはありませんでした)。質問をした回数はずいぶん多いのですが、一人だけファンタジー、それもM.エンデの「はてしない物語」を挙げた学生がいました。私がこの本を読んだのは40歳のころでしたから、「モモ」と合わせてファンタジーとしても楽しみましたが、医療論・ケア論としてもあてはまるところが少なくないと感じて、とても心を惹かれました(今でも、とても好きです)。そんな思い入れが強い本の名前を聞いて、私は一瞬たじろぎ、そして、こんな医学生と出会えたことに内心嬉々として「いろいろなエピソードが書かれていますが、あなたにとって印象深い話は何でしたか」と質問を重ねていました。書名を挙げるだけなら簡単ですから、その内容についてさらに尋ねるのはいつものことですが、この時は意地悪ではなく(ということは、いつもは意地悪なのですね)興味深く尋ねていました。この学生は小児科志望ではありませんでしたが、ファンタジーを大切に懐に抱えながら大人に接する医者ってきっと面白そう。

   看護学生たちには、こんな話もします。
   「小児科では、子どもたちと仲良くなることも大事だけれど、お母さんや家族を支えることの方がもっと大事なんですよ。子どもは家族という船に乗っているのです。子どもが病気をすると、保護者の心は大揺れになってしまいます。子どもを乗せている船が安定しなければ子どもは落ち着かないでしょう。安定しない船で、子どもを何とかしようと思っても、看護師を含むみんなが巻き込まれて揺れ動くばかりだよね。だから、私たちの仕事はまず保護者が落ち着けるように援助することなんです。ただ、そのことは保護者といっぱい話すだけではできない。自分の子どもを大切にして、丁寧に付き合ってくれる人を見ると、保護者はホッとするし、そうしてくれる人となら、いっぱい話したいと自然に思うでしょう。そこでいろいろ話すことを通して、信頼関係が生まれることで、だんだん落ち着きを取り戻してもらう。そういう関係の中を生きることがケアだと思う。だから、子どもに何かをしてあげる・働きかけるということより、子どもと仲良くなることがいちばんのケアなんです。」
   それは、2-3日入院の「軽症」の病気の場合でも、最後の日々でも同じことです。そして、このことは成人の場合でも同じ、いや、もっと大切です。成人の場合には、どの人(たち)が船なのかをまず私たちは見極めなければなりませんし、船のバリエーションも多彩なのですから。
   ここまで書いて、研修医の教育も同じだと気が付きました。病院という船が安定していなければ、研修医指導はありえません。病院が安定しているところで、ていねいな(優しくても怖くても構わない)つきあいをする指導医が研修医を支えます。教育の責任者は、指導医と一緒に指導を考えるだけではなく、病院という船の安定を図ることも仕事なのです(この安定は経営的な意味ではなく、理念や姿勢、雰囲気のことです)。(2014.6)

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