2月にDNR(Do not resuscitate)についてのシンポジウムがあり、そこで話すようにと声をかけていただきましたので、No14〜17、No.93、No.157などに書いたようなことを話してきました。
その折にいろいろな話を聞いてみると、事態はNo,93で書いた以上に進んでいるようです。いったんDNRとなると、対処しさえすれば解決するアクシデント的な事態に対しても処置をしてもらえないというようなことが起きていると何度か聞きました(犯罪と紙一重だと思いました)。患者さんの困っている事態に人は反射的に手が出るものだと思うのですが、その手を控える医療者を育てる言葉って、どうなのでしょうか。
「『延命治療』という否定的なイメージを伴う通俗的な見解に対して、呼吸不全とそれに伴う呼吸苦に対する緩和療法と理解するだけで、意思決定の方向性は変わりうる。」(堀田義太郎 医学哲学医学倫理No29 p75)
「患者さんにとっては、DNRも自分の死ぬ時のこともわからないし、本当のところはわかりたくない」「医師の説明は分からないし、聞こえないし、聞きたくもない」ということもお話ししたのですが、そのような事態を回避するために、あらかじめ「その時」の処置の希望を逐一確認するためのチェックリストを作成しようとする動きもそちらこちらであるようです。こういう作業を合理的と考えるのは医師の陥穽です。重い病気の患者さんに、「その時」の様子を詳しく話し、行われる処置を具体的に話し、わからなければ図示し、・・・・というようなことは、科学の名による「虐待」ではないでしょうか。「患者さんによくわかってもらわなければ」と医療者は思いますが、医療者の方こそ患者さんの気持ちが分かっていないのです。
「これ以上はしなくて良いです」と言う時、人は自分の思いをねじ伏せています。家族にとって、身内の死について決定することは、DNRを選んでも選ばなくても、患者の言う通りしてもしなくても、遺された後ずっと心を穏やかにしてくれません。「あれで良かったのだろうか」という問いが繰り返し押し寄せてきます。逆に「出来ることは全部して下さい」と言われたから何でもやってしまうというのも、その言葉の奥に渦巻く複雑な思いを置いてきぼりにしています。その日の後に、遺された人たちの思いを強化するのも和らげるのも、私たちの関わりにかかっています。だからこそ、その人の最期を満たされたものとするために、私たちが行なうべきことはいっぱいある(いっぱい見つけなくてはいけない)はずなのです。DNRだから仕事が増えるということでなくてはおかしいのです。医療者が楽になるように使われる言葉は要注意です。
病気による死の多くは瞬間の出来事ではありません。生から死に至る「臨終」の時、そこでは心臓マッサージが行われ、家族が手を取り、声をかける、そういった時間と儀礼に支えられた「間=あわい」を経ることが必要なのではないでしょうか。少なくとも、家族が手を取り、声をかける中で、送りたい。一定の時間と儀礼を欠いた死は、事故や天災による死の場合と同じように遺される人々に終生「不全感」と「負い目」を残すでしょう。「あわい」を保障できない医療は医療ではないと思うのですが、DNRが診療録の1枚目(電子カルテの最初のページ)に書かれるのが現在という時代です。昨年、恩師(物理の教授でしたが、哲学・社会学を教えて戴きました)が私の病院に入院したとき、その最初のページがDNRから始まっているのを見て複雑な思いがしました。
何年か前の採用試験で、DNRを拒んだ事例について学生が書いた論文です。
「この文章においては、癌を抱えて終末期にある女性に対し、筆者はDNR/DNIの意思表示とホスピスケアを推した。しかし彼女は拒否し、最期まで自分の意志を貫いて亡くなっていった。筆者は、もう一度やり直す機会があるとすれば患者の意志をもっと素直に受け入れられるだろうと考えているが、筆者がその考えに達することができたのは患者と議論を重ねて理解を深めたからであり、すぐに意見を受け入れることがより良い選択ではなかったはずである。
終末期の医療について議論する時、ほとんどの人は死も終末期も自分のこととして経験したことがない。どのような最期が望ましいかという問いに一般的な答えが無いことは明白だが、自分にとってどのような最期が望ましいのか、という問いに対してさえも死が実感を持って迫ってくるまでは想像で応えるしか無いのである。終末期においても、はっきりした意志を持てる人ばかりではなく、家族や医療者との対話・対立を通して自分の本当に求める生き方が見えてくる人も多いのではないだろうか。
ともすれば、家族や医療者は、患者が苦しい状況に置かれる様子を見るのがつらいという感情が大きくなり、それを無意識に患者に押しつけてしまうことがあると感じる。私自身を振り返っても、祖母の腕に多数の点滴痕が残ることすら痛々しく感じられ、必要な治療だと理解していてもこれ以上の治療を止めて欲しいと思ってしまうことがあった。私の祖母に関しては認知症などの要因から最期の迎え方を具体的には話し合えなかったが、意識の清明な患者であれば医療者や家族の想いが積極的な加療を本人にためらわせる原因になり得るのだろう。
死は誰にとっても初めての経験だからこそ、死へ至るまでの過程をその人らしく過ごす手助けをするには、対話と、患者の苦しみを分かち合う勇気が必要なのだと考えている。」
初めてこの文章を読んだ時、まとまりのない文章だと私は戸惑いました。いろいろなテーマが少しずつ断片的に触れられているのですが、深まらないまま、唐突に結論が書かれている感じがしました。けれども、読み直してみて、DNRを巡る問題がいくつも書かれていることから、その大きすぎる問題群に真正面からぶつかっていったために、まとめるための字数も時間も全く足らなかったのだと思うようになりました。真正面からぶつかってしまったのは高校3年生のときに祖母の死に遭遇したからでしょう。
が、繰り返し読んでいくと、それだけではない。小さい時から親しんできた祖母の最後の月日、いろいろな思いが交錯する時を過ごしたはずです。身内のことでこのような経験をした人にとって、DNRのこと、人の最期を迎える時のことは、時間が経っても言葉にまとめきれない(心もまとまらない)ことであり、そのことは試験の場でなくとも時間が無制限にあっても同じだったに違いない。整った文章はリアリティの無いところでしか書けないのです。「名付けようもない経験は、記憶の中に軟着陸させることはできないのだ。」(信田さよ子「カウンセラーは何を見ているか」医学書院)
様々な思いが去来して「まとまりのない文章にしかならない」というそのこと自体が、それ以外に遺された人はありようがないのだということの証として「正鵠を射た解答」なのだということに私は気づき、自分の不明を羞じました。まとめきれないだけではなく、まとめたくないという意思も働いているかもしれません。まとめられるようになったとき、喪の仕事が終わってしまいます。思いが言葉になりきる日は来ないのかもしれません。それは、人間関係が親密であったか疎遠であったかということとはほとんど関係がありません。DNRという横文字の下であっても、そうした患者や家族の思いや迷いを感じ取ってほしいという願いの息づかいを私はこの文章の中に感じられるようになりました。
6歳の次女を亡くした哲学者の西田幾多郎の言葉。「人は死んだ者はいかにいっても還らぬから、諦めよ、忘れよという。しかしこれが親にとっては堪え難き苦痛である。時は凡ての傷を癒やすといふのは自然の恵であって、一方より見れば大切なことかも知らぬが、一方より見れば人間の不人情である。何とかして忘れたくない。せめて我一生だけは思い出してやりたいといふのが親の誠である。・・・・・折にふれ、ものに感じては思ひ出すのが、せめてもの慰藉である。死者に対しての心づくしである。この悲は苦痛といへばまことに苦痛であらう。併し親はこの苦痛の去ることを欲せぬのである。」(藤岡作太郎『国分学史講話』への序文。私はこの文章に、久野昭『葬送の倫理』紀伊国屋書店1979で出会った。) 子どもを亡くした親たちからも同じような言葉を、私は聞いてきました。
西田はこうも言っています。「誠というものは言語に表わし得べきものでない、言語に表し得べきものは凡て浅薄である、虚偽である、至誠は相見て相言う能わざる所に存するのである。我らの相対して相言う能わざりし所に、言語はおろか、涙にも現わすことのできない深き同情の流が心の底から底へと通うていたのである。」(「ナラティブ」好きな人に読んでほしいなあ。)
「言葉を口にしかけて呑み込む人、語りきることをしないまま静かに去ってゆく人。その呑み込んだ分、語りきらなかった分を、こんどはこちらが内で黙って埋めていくのが対話のマナーというものだろう。」 (鷲田清一『「自由」のすきま』角川学芸出版)
論文を書いた学生の祖母は、医師を志す孫に大切なことをいっぱい託しました。「患者の苦しみを分かち合う勇気」を持ち続けることは難しいし、燃え尽きてしまう危険もあります。もっと力を抜いて(抜く方が)良いのです。まとめられない思い・苦痛を伴う「悲」をそのまま抱え続けて医師として患者にまっすぐ接していく、そのことで患者さんはきっと一歩前に進めます。そこにケアが生まれ、その瞬間の中に祖母は生き続けます。時が「凡ての傷を癒や」し、まとめきれない思いが薄らいでも、そのことは変わるものではありません。医師の人生は、たくさんの死者の思いに見つめられ、同時に、支えられていくのです。(2014.6)