東北の震災から2年たった時、震災のことについて「何でもいいから思うことを色紙に書いて」と言われて、名前以外「何も書けない」という人が居たことをテレビが伝えていました。
身内を亡くすこと、大きな病気を得ることは、言葉にならない。ナラティブを通して治療ができるのではなく、患者さんがナラティブ=言葉で表現できるようになったときにはすでに自分の力で危機を脱しているのです。「不幸の経験はことばをもたない。そこに不幸のほんとうの困難がある。」(鷲田清一「聴くことの力」)
聴こうと思っても、「このような場合にじっと聴くのがむずかしいのには、いくつか理由がある。一つは、苦しみや欝ぎの理由を問うても答えがないことは、話す本人がわかっているから。第二に、ひとはほんとうに苦しいときには話さないものである。それでもようやっと口を開いても、一言一言が相手にたしかに届いているか確認しながらしか話せないので、どうしてもとつとつとした断片的な語りになってしまう。第三に、迎え入れられるという確信のないところでは、人は他人に言葉をあずけないものだ。他人に語ることで苦しみをわざわざ二重にすることはない。最後に、特に家族の場合、自分が漏らす一言一言を身内は聞き流すことができず、それらに過剰に反応してしまう。」(鷲田清一「わかりやすいはわかりにくい」ちくま新書) No.171に載せた学生の論文も、このような思いから書かれていたのかもしれません。
手術後、音も光もない夜の病室で」という文章に出会いました。音も光もないはずはありません。「うるさかった、眩しかった」というご意見を戴くこともありますし、体験入院した研修医たちもそう言います。でも、患者さんのその時の気持ちは、このような表現がいちばん近かったのでしょう。聴きたい音は聞こえず、見たい光は見えない。「苦情」も言えないほどの「空虚な」時を過ごしているのでしょうか。体験入院では、そこまではわからないのかもしれない。医者になった2年目くらいの時「入院中は、白い時間の中を過ごしていたというのがいちばんぴったりする」と言う人に私は出会いました。
患者さんの「生きる世界」も「思い」も、私たちの想像を超え、言葉を超えています。「思い」を聞くことは、聞こうと意気込む限りできない。「自ら深く悩み、慰められたことのある者でなければ他人をなぐさめられるものではない」(神谷美恵子)ことは確かだと思いますが、それでも他者の「思い」はわかりません。医者も重い病いの体験をすることでいくぶんかはわかるようになるのかもしれませんが、ほとんどの場合、その時にはもう医者として働く時間は無くなっています。
病者の「思い」は、私たちの視線を避けて、身を隠そうとします。「自分のことを知ってほしい、わかってほしい」という病者の思いは、病者の心の中で「わかられるはずがない」「わかられることも悔しい」という思いとせめぎ合っているのではないでしょうか。そのせめぎ合いが、医療者の視線を阻みます。もちろん、入り込むことも。阻まれていることを感じ取りながら、こちらの思惑で介入することを避け、それでもその場にとどまり続ける人を、病者は待っています。でも、とどまる人に「期待」してしまうと、その期待が外れることが少なくないことを人は経験的に(あるいは先験的に)知っていますから、期待を押し殺します。押し殺しながら、それでも待ち続けます。(子どものときから周囲の人と馴染むのが苦手な私の、偏った見方かもしれません。)
待たれている人は医療者とは限りませんが、医療者がその一人であることはきっと確かです。お互いが相手の様子をうかがい続け、そっと手を出したり引っ込めたりを繰り返しているうちに、指先がふれあい、お互いぬくもりを感じた瞬間にケアが生まれます。でもこうした出会いに、最後までお互いに気づかないこともあります。それでも、その場にとどまり続けたということは、病者と医療者とを深いところで結びつけているのかもしれません。
「もっと自信を持っていいのよ、あなたたちは患者のそばに存在するだけでも意味があるのだから」と、実習に来る看護学生に神谷美恵子は心の中で声をかけていたと言います。 (2014.7)