東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.173

ごめん、聞いていなかった

日下隼人    どの程度の人間関係なら、相手が一生懸命話しているのに別のことを考えていた時、「ごめん、いまほかのことを考えていて、聞いていなかった」と言えるでしょうか。どの程度の人間関係なら、そう言われた時に笑顔で「じゃあ、もう一回話すね」と言えるでしょうか。
   どの程度の人間関係なら、「とにかく、まず私の話をちゃんと聞いて」と求めることができるでしょうか。
   夫婦なら相当危うい。恋人同士でも、相手の気分しだい。医者には言えません。

   医療者の言葉が難しいことは確かです。でも、どんなに分かりやすく説明されても、病名や医師の説明を聞いたとたん「どうしよう」「これからどうなるのだろう」「仕事は・・・」「家庭は・・・」といった様々な思いが頭の中を巡ります。「医者の言うことは本当かな」と思います。「この病院で良いのかな」「この医者で良いのかな」と思案します。実感が伴わないこともありますし、「こんな病気であってほしい」という思いが突き上げてきます。「病院の医療でないことで、なんとかならないかな」「自分なりに病気に抵抗する方法は無いかな」と策を練ります。質問してみたいけれど、どう言えばよいだろうと思い悩みます。もう、心の防衛反応も起きます。そんな思いに迷っている時に、他人の言葉はとぎれとぎれにしか入ってきません。自分の思いや心配にフィットする言葉だけが聞こえてきて、自分のイメージを作り上げますが、当然にも医師の説明とは違う像を思い描くになります。患者さんの反応を見聞きして、「ボク、そんなこと言ってないよ」「そんなふうに言っていない」「そんなつもりではないんだけど」という医者の言葉はその通りなのですが、「そんなふうに」患者さんが受け止めてしまったのもまた事実です。
   人は聞きたいことしか耳に入りませんし、期待していた言葉しか聞こえません。私の頭髪はだいぶ少なくなってきたのですが、自覚的には20年前(30年前?)程度です。写真を見ても「うそっ、光の当て方がまずいんだ」と思い、写真はさっさとしまいます。鏡を見る時は額から下しか見ていません(顔も見るに堪えるほどのものではありませんが)。「不都合な真実」には目をつぶるものです。誰かが「先生、そんなに減っていませんよ」と言ってくれると、その人がとても良い人に思えてしまいます。
   病気の人も同じです。それなのに、「どうして何度言ってもわからないの」と慨嘆して、「鏡や写真を良く見てごらん」と首根っこを押さえて目を見開かせるようなことを患者さんへの説明だと思い込んでいる医療者もいないわけではありません。その人が、聞こえる範囲(何しろ、わからない=聞こえない言葉が氾濫しています)の医者の言葉を断片的につなぎ合わせて、自分の思いから構成した世界を、まずは一緒に見てみることからしか付き合いは始まりません

   「ごめん、いまほかのことを考えていて、聞いていなかった」「とにかく、ちゃんと私の話を聞いて」と言ってもらえる関係にまで辿りつければ、この世界では、そのコミュニケーションは十分「いい線」に行っているのです。あとはなんとでもなります。それって雑談を積み重ねるところからしか無理なのではないかしら。そんな関係ができている時には、そう言われた時、「わかった、聴く」「じゃあ、もう一度言うね」という言葉が微笑とともに出てくるかもしれません。(2014.7)

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