「『クレームを言うのがあたりまえ。そう思うと、わがままを言わずに医療者に合わせてくれる患者さんへの感謝が生まれる』というお考えは、本当に驚きと感動でした。今後の心の持ち方に生かしていきたいと思います」と若い医師からメールをもらいました。「クレーム」という言葉を聞くと、私はこのような言葉が大脳を介することなく条件反射的に口から出てしまうようです。
それは、「ちょっとした」出来事で、患者さんのお宅にお詫びにうかがう車の中でのことでした。「最近は、ふつうの人なら言わないような自己主張の強いクレームを言う人が居て悲しいですね」と言う彼女に、「患者さんはきっと誰でも医者に、なにかは文句をいいたいことがある。それがあたりまえなのが医療という仕事だと思うんです。そう考えると、多くの人は言いたいこともわがままも言わずに我慢して医者に合わせてくれているんだと感じられるようになるでしょう」というようなことを話したと思います。
医師になってから3年の間に、彼女がこのような患者さんと出会っていないはずはありませんが、こうしたことを伝える人には出会わなかったのかもしれません。「『医者は敵だ』と言う人」(医者になる前には何人も出会ったのですが)「医師に食ってかかる人」の存在に、「とんでもない患者だ」と驚く人はいても、医師に感謝の言葉を言う人・苦情を言わずに黙って帰る人のほうがずっと多いことに驚く人はまれです。医師になりたての頃には、そのことを訝しく思う人も、一度患者さんに怒鳴られでもすれば、その思いが吹き飛んでしまいがちです(怒鳴られて吹き飛ぶ人は怒鳴られなくとも感じなくなっていきますから、怒鳴る人が悪いのではありません)。どのようにふるまう医師も人の心に傷をつけているに違いないのが医療の場です(そのことに無自覚でいると患者さん以外の人も傷つけるようになってしまいます、自戒です)。
「よく、みんな我慢しているな」と感じられれば、患者さんが喉もとで留めてしまった「声」が聞こえてくるでしょう。そうなれば「患者さんのクレーム」も少し違って見えてくるでしょうし、「クレーム」と付き合う時の気持ちも違うものとなるかもしれません。
今から54年前の6月、時の首相は(「反対」の声を上げない人たちの)「声なき声が聞こえる」と言って、広範なデモ(60年安保闘争)の参加者を軽視しようとしました。この言葉を批判して、美術教師の小林トミさんが「声なき声の会」を作り、非暴力に徹した「誰でも入れるデモ」を始め、後のべ平連(「ベトナムに平和を!」市民連合)はこの活動から生まれました。私はトミさんのグループに入れてもらって反戦デモに参加することがとても多かったのですが、笑顔でない彼女を思い出すことができません。ベトナム戦争に反対する市民運動に参加したことが、医療を「市民」の立場で考える「いま」につながっています。
首相の言葉は「デモに参加していない人=声をあげていない人は自分を支持している」と主張する一種の詭弁ですが、医療の場では確かに「声なき声(silent majority)」は通奏低音のように響いていて、私たちはその声を聞き逃すべきではないと思います。その声を聞くと、私たちのしていることが問いかけられていると感じずにはいられなくなる「声」、聞くべきはそのような「声なき声」です。そうした「声」を聞きとることができる聴力を持つこと、そしてそのような声を聞いて嬉しくなることは、ケアの条件です。
「我慢している人の多さに驚くべき」という考えを、私は医者になる前後に読み耽った教育関係の本で学びました(高橋勉『教育・その混乱と崩壊』現代書館1976。教育学部に進学したかった思いを引きずりつづけていましたから、今も)。リルケの「マルテの手記」を知ったのも、教師だった村田栄一さんの本からでした(『無援の前線』社会評論社1972。1974年に村田さんの編集する雑誌に書かせていただいたことから、一冊目の本『子どもの病む世界で』が生まれました)。「マルテの手記」は「そう、要するに人々は生きるためにこのパリにやってくる。だがぼくには、むしろここでは何もかもが死んでゆくように思えてならない」という文章から始まります(高安国世訳、訳者によって異なります)。この後に病院や病人の話が続くのですが、初めて読んだ時から「医療の場では何もかもが死んでゆくように思えてならない」と指弾されていると私は思い続けています。もちろん、その「死」は生物学的なことではありません。(2014.7)