「名残手(なごりて)」という言葉を、最近テレビドラマで耳にしました。しらべてみて、NHKの「仕事ハッケン伝」で、仲居修行をする押切もえさんが名残手を教えられていたことも知りました。
料理の器をお客様に出すときにサッと手を引いてしまうのではなく、名残惜しい気持ちを込めてゆっくりと手を引く(もともとは茶道の言葉のようです)。そこには、相手の人をだいじにするというだけでなく、料理と器も大切にする気持ちがあわせて込められているのでしょう。そのような動作は見ていて美しく、だれもが「自分が大切にされている」と感じずにはいられないでしょう。でも、それは特別に教えられなくとも、心を込めた料理(たとえ自分で作っていなくとも)を大切な人に差し出すときには誰でもきっとそうします。テーブルの上に器をドンと置かれることで(中身がこぼれて)ある種の親しみを感じるような店が無いわけではないと思いますが、やはり「自分が大切にされている」と私たちは感じないでしょう。
診察や処置をしたり、薬を手渡したり、そうした一つ一つの場面でも、相手を親しい人と感じていたら、私たちの手は自ずと「名残手」になるでしょう。名残手は、美しい立居振る舞い、温かい手のやりとり、きめ細かい言葉につながります。だからこそ、医療者の「粗雑」な手に、病気の人は寂しくなります。
そのようなことが臨床実習で教えられているでしょうか。もし、SPの身体診察に意味があるとしたら、こうした「思いに込められた所作」「所作に込められた思い」を伝えることしかないでしょう。リアリティというのはこのようなことに使われるべき言葉なのだと思いますが、そんなふうに身体診察の意義を説明する人には会ったことがありません。
最近では、学生時代にファミレスやおしゃれなコーヒーショップでアルバイトしていた医学生も少なくないので、「名残手」を身につけている人も多くなっていると信じたい。 (2014.08)