東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.178

大丈夫だから

日下隼人    小児がんを経験した高校生が「再発への不安」を訴えるたびに、担当医が「大丈夫だから。僕が言うんだから大丈夫」としか言ってくれないことが不満だという話を聞きました。でも、これが「最低のコミュニケーションだ」と言い切れないと思うのは、私が医師だからでしょうか。
   もちろん、もう少しだけ彼女の思いを聴いたら、彼女の気持ちは違うものになるでしょう。「どうしてそう思うの」と尋ねたら何かを言ってくれるでしょう。「心配になるよね」と「共感的」な言葉を待っているのかもしれません。

   でも、そんなにうまく行くでしょうか。
   「どうしてそう思うの」と尋ねられて、答えているうちにかえって収拾がつかなくなるかもしれません。「どうして」の本当のところを言っても、「おとな」の答えは想像がついてしまいます。訊かれたら訊かれたで、「適当な」ことを言うしかないかもしれません。
    「なんでも言っていいよ」と言われても、その人が信じられなければ話せません。なんでも話してみたらとても嫌な思いをしたことを、重い病気をした高校生なら経験しているはずです。ありのままに受け入れてくれると信じられるまでは、「なんでも」話したりはしません。
   「そうだよね、心配になるよね」という医者の言葉で、「やっぱり」と心配が一気に膨らんでしまうかもしれません。
   それ以前に「大丈夫ですか」以外に話すことなんか思いつかないかもしれません。
   もちろん、そこがつきあいの入り口なのですが、扉を開けて収拾がつかなくなる危険もあります。

   実は、この医師は前任の医師からさいきん彼女の担当を引き継いだところです。患者も医師も、お互いを「値踏み」している時なのです。彼女が求めるものは、言葉ではなく、その医者が自分の方を向いていることの実感でしょう。何でも話してもよい (かえってこちらを傷つけることのない) 人かどうか確認している段階だと思います。
    「大丈夫だから」と言い続ける医師は、もう少し話ができるようになるまでの時間稼ぎをしているのかもしれません。どんなコミュニケーションも断裂なしにはありえません。「大丈夫だから」しか言わない医師が、この断裂を前にして(自覚しているかどうかは別にして)、自分に無理をしないように、相手にその断裂を感じさせないようにと思っていることだってありえます(現時点では、断裂を感じさせてしまっているようですが)。「大丈夫だから」しか言わなくとも、嫌な顔をせずにそう言い続けていてくれたら、それが救いになるかもしれません。この医師が笑顔を絶やさなければ、この高校生も自分が思いを口に出せるようになるまで「我慢」でき、そこから付き合いが始まることもあり得ると思います。

   何人もの患者さんとつきあう経験を積んで、その経験が自分の中で消化されていないと、患者さんが納得できるような説明は難しい。経験を踏まえた説明でないと、説得力に欠ける。いろいろな経験を聞くことで、患者さんはホッとする。一方で、経験があるために、医療者はどうしても「わかったふうな」顔をしてしまうことになって、患者さんが傷つくこともありそうだ。その医療者のこれまでの経験が自分に絶対にあてはまるという保証はないし、「自分は自分」なので「たくさんの人の中の一人」と言われているような気がして不愉快だ。「あなたの見えていないことが私には見えている」という雰囲気だけで、口を閉ざしたくなる人もいるだろう。
   病を得た人との関わりは、常に初めての出会い(人間どうしの関わりとしても、医学的なこととしても)であり、そのことへの畏れなしには関わりが希薄なものになってしまいます。同時に、経験として得られた知が無ければ適切なアドバイスもできませんし、不安を和らげることもできません。そんなバランスが取れるようになることを、医療者の目標として求められるでしょうか。それとも、それは目標にはなじまず、巧まずしてたまたまうまくバランスが取れた瞬間を経験することがあるだけなのでしょうか。 後者だとしたら、その経験の伝承は、人との関わり方を伝えることしかないと思います。(2014.9)


お詫び
No.177 「管理者って」の4行目、「脅迫感」は「強迫感」の誤りでした。

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