東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.179

「教える」ではなく「伝える」

日下隼人    勉強の目的について、「『知識を学ぶために』と答える人と、『人間として成長するために』と答える人に二分される」のだそうです。(諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?』光文社)
   医学教育で、「人間として成長するために」勉強するのだというような言葉を耳にすることはまれです(別々のこととして語られることは少なくありません)。医学教育は実学の教育ですし、医師の研修も職業教育ですから、どうしても「知識や技能を学ぶため」ということに偏りがちです。もう一つ、あまり語られない理由は、患者さんという、私たちの人間としての成長を絶対に促してくれる人たちと日々出会うこと自体に大きな教育力があるからです。医師は誰もが、自分を人間として成長させてくれた患者さんとの忘れられない出会いがあります。だから、臨床を丁寧に行っていくことでその両方が学べるとも、両方を同時に学ぶことが研修の目的だとも、言うことができます。
   でも、技術や知識の成長は指導者の目に見えますが、人間としての成長は指導者の目に見えません。指導者が成長しているかどうかも心もとないかぎりです。だからと言って、若い医師の変化が「成長」か「退歩」かを考えてくれない指導者では、寂しい。もちろん、「正しい成長」が固定したものとしてあるわけではありません。「正しさ」が決めきれないからこそ、成長を促すために、患者さんとのつきあいを大切にするよう若い医師を促し、大切にしている医師を支持する指導者、若い医師と一緒に歩んでくれる指導者の存在が欠かせないと思います。
   知識や技術の習得と「人間としての成長」は表裏一体です。指導医が、患者に対して、後輩の医師に対して「上から目線」の教育をすれば、その態度を身につけてしまいます(反面教師として見る人も、どこかで自分に対する目が甘くなってしまいます)。診断や治療について断定的な言い方をする教育を受けると(そのほうがカッコ良いので若い人たち好みです、感染症とか救急とか・・・)、そのような物言いをする医師になってしまうかもしれません。患者抜きのチーム医療を考える病院で育つと、つい患者は医療者の操作対象としてだけ見る癖がついてしまいます。
    「曖昧な状況に踏み留まる姿」「医学的なことでも断定的に決めつけないことに留まる姿」を見せること、なによりも疾患と人間に謙虚であり続ける姿を見せ、そこで一緒に考えていくことが教育だと思うのですが、若い人たちはそんなことにはイライラしがちですし(「さっさと正解を教えてよ」)、指導する側も「カッコ良く」指導したくなりがちなので、そして謙虚であり続けることは疲れることなので(「上から目線」で生きるほうが楽しい)、なかなかうまく行かないようです。
   鷲田清一さんが、教育は「『教える/学ぶ』から『伝える/応える』という原点に戻らなければ」(「おとなの背中」角川学芸出版)と言っていますが、医学教育にももちろんあてはまります。 (2014.9)


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