私が病棟で患者さんを受け持っていたころ、子どもが亡くなったあとに「先生と話したくなった」と折にふれて訪ねてくる母親が何人かおられました。その一人の言葉。
「あれで、あの子は私たちのことを許してくれるんだろうかってずっと思うものですね。
「子どもが死ぬのが辛いということは、絶対ですね。時間がたっても、ちっとも軽くはなりませんね。同じ経験をした人どうしでなければわからない部分があって、あのころ一緒に入院していた人と会った時にだけほっとするところがあります。
でも自分が死ぬより辛いというのは、どうでしょう。どんなに辛くっても、結局死ぬのは自分じゃないんだものね。自分が死ぬほどには辛くないのね。そのことをわかってしまうほうが本当に辛いのに、なんて思ったり。
人間てもともと孤独なんでしょうね。病人てほんとうに孤独でしょう。母親だって助けにはならないで、一人で耐えていくしかないんですもの。そんなに早く人間が孤独だって知らなくってもよかったのに、なんてあの子のことを思ったりします。」
人間は死と和解できるかもしれません。でも、死者と、遺された私たちとは和解できるものでしょうか。戦争や災害で生き残った人が、「どうして自分が生き残ってしまったのだろう」「どうして自分ではなく、あの人が」という「罪悪感」「負い目」の感覚をしばしば語ります。幼くして亡くなっていった多くの子どもたちに、幼くして重いあるいは変化しない「病」と付き合うことになってしまった子供たちに、私はそれと似た思いを感じてしまいます。小児科医であることは、そのような感覚を抱えて生きることでもあると思います(「このようなアナロジーは不適切である」と言われるかしれないと思いながら書いています)。
「死者がもし、あの世から告発すべきものがあるとすれば、それは私たちが、いまも生きているという事実である。死者の無念は、その一事をおいてない。死者と生者を和解させるものはなにひとつないという事実をことさら私たちは忘れ去っているのではないか」という石原吉郎の言葉(「海を流れる河)。
たとえ生の一光景としての死までの場面であっても、死者は語られることを拒むかもしれない。語るのは私たち残されたものの使命ではないし、その最後の日々の姿が人に感銘を与えたり、人を力づけたりしたとしても、それは死者の栄誉ではない。語ることは、追悼し死者を心に埋め込んでいく者にとっての意味はあるだろうが、そこで自分が「納得」してしまうことも、もしかしたら死者を「冒している」のかもしれない。語ることによって、死者と私たちとの間の溝はさらに深まってもいく。
「つよい人に病気を治してもらってくるね」という最後の言葉を残して38年前に逝った少年がいます。その言葉を忘れないことしか私にできることは無いのですが、それでもこの言葉でずっと和解は拒まれていると感じています。“owe”という言葉には、「借りがある」「負債」の意味と「恩恵を被っている」と言う意味があることを教えてくれたのも、鷲田清一さんでした。(2014.10)