6 会話は敬語が原則
患者さんや家族とお話しする際は敬語でお話しすることが原則です。
もっとも、敬意を一番表すのは挨拶や表情、姿勢といった態度です。頬杖、腕組み、貧乏ゆすりなど「やってはいけない」態度についていろいろ言われますが、学生が教授の前で取るべき態度、研修医が病院長の前で取るべき態度、会社なら社員が社長の前で取るべき態度を守ればよいと考えればわかりやすいでしょう。社長や院長の中には、部下に対して「横柄」な態度を取る人もいます。それでも、社員や研修医は黙って(我慢して)接していくでしょう。そんな態度を医者が取れば、「ああ、この医者は自分のことを上から見下ろしている」と患者さんは感じますし、黙って(我慢して)接してはいても間違いなく不愉快になります。
とはいえ、敬語が敬意の表れであることは言うまでもありません。患者さんの中には敬語を「よそよそしい」と感じる人がいるかもしれませんし、戸惑う人もいるかもしれません。それでも、敬語を使われて、敬意を払われて悪い気がする人はいません。「敬遠」と言う言葉があるように、適度な距離も保てます。医療者の力が圧倒的に強い医療の場の関係は、私たちが「こんなに」と思うほど身を低くしても、それでも「対等」には辿りつかない関係なのです。私の齢になれば、子どもの保護者が自分の子どもの世代ですから、「長幼の序」(古い!?)から考えれば、私が保護者に敬語を使わなくと自然なことなのかもしれません。でも、他人に敬語抜きで話しているうちに、人間は必ず舞い上がってしまい、高いところから人を見おろしてしまうようになります(もともと医者はいくらでも舞い上がってしまうことのできる人種です)。見おろされても平気な人もいるでしょうが、多くの人は見おされることでなにがしかの不快感を感じます。その不快感はわずかな「ひび」でしかないかもしれませんが、後々大きな亀裂になる可能性があります。
それで、私は意識して敬語を使っています。あくまでも私たちは、患者さんのお手伝いをする、サービスの提供者なのですから、その意味でも敬語を使うことは当然のことです。子どもたちと話すときにも、もちろん敬語を使います。ただ、子どもの場合には、敬語だけだと戸惑うこともあるかと思い、敬語とため口を交互に使うようにしています。
冷泉彰彦さんは「敬語とは話し手と聞き手の対等性を持った言葉である。いわゆる「タメグチ」とはむき出しの権力関係を持ち込んだ不平等な言語空間を作り出す」「『タメグチ』ではニュアンスがむき出しになる。内容も、表現の細かなところにも、感情や権力関係がむき出しになる。卑屈な感情も、無神経さも何もかもがむき出しになる。その結果として、・・・安定的な『空気』はできない」「『です、ます』こそ日本語の会話の標準スタイルである」と言っています。(『「関係の空気」「場の空気」』講談社)
「親しさとほどほどによそよそしい丁寧さ」を兼ね備えることだと言う人がいました。
7 それでは診察させていただけますか
診察する時には、そのつど必ず何をするか説明します。「じゃあ、お胸に聴診器(モシモシ)を当てますよ。ちょっと冷たくてごめんね」(寒い季節に手や聴診器を温めておくのは当然のことです)。聴診器をいきなり胸に当てるのではなく、手や大腿にスリスリして、その感触をわかってもらうとそれだけで少し落ち着くようです。
「今度は、おなかをチョコチョコするからね」「お背中くすぐっちゃうよ」。この時、できるだけ優しい手つきを心がけます。強く押すような時は、「これから少し力を入れるからね」と言います。「冷たい手」、ギュッと触る「粗雑な手」からは、冷たく粗雑な心しか感じてもらえません。診察をするときに「寒くない?」「かわいい服だね」「もうちょっと我慢してね」といった言葉をかけることも大切です。
このような言葉は、新生児にも何らかの障碍のため意志の疎通ができない子どもにも必ずかけることが大切です。目の前の子どもを尊重すれば、自然に言葉が出てきてしまいます。その医師の姿を見て、保護者は医師の心を想像しその人間を判断しますし、いろいろな思いが生まれます。声をかけることは、どこかで何かが通じています。障碍のある子どもに声をかける私に、「あ、この子は言葉が・・」まで言ってから、そのあとの言葉を押しとどめた母親がいました。年齢に応じて、かける言葉が変わってくることは言うまでもありません。
「はい、じゃあベッドに寝よう」なんては、もちろん言いません。「今度はベッドに寝てくれるかな。痛いことはしないからね」などと言っています。「お母さんに手をつないでいてもらう?」なんて提案することも。
診察している時に、子どもの顔つきを見ること、診察台に昇り降りする時の動作(靴の着脱も含みます)をしっかり見ておくことは重要な視診です。これだけでも診断がついてしまうことがありますから、電子カルテに入力している場合ではありません。子供にはひんやりしたベッドに寝かされることは恐怖でしかありませんから、保護者と医者との膝の上(膝-膝ベッドと言います)で横になってもらうほうが良いことも少なくありません。子どもが怖がることは少しでも減らしたいと気を配ることは大切ですし、その思いも患者さんや保護者に伝わります。
ベッドで診察する時にはできるだけベッドのわきにしゃがんで診察します。上から大きな人間が覆いかぶさるのは、恐怖映画で襲われるようなものです。触診では、はじめは全体をそっと触れ、怖くないことをわかってもらうと同時に、その程度でも所見がないかを確認します。大きな腫瘍や汎発性腹膜炎ならこれだけでわかることがあります。つぎに「今度はもう少し力を入れて押すからね」と声をかけて、「深い」触診をします。子どもの言葉も大事ですが、触診をしている時は指先の感触を見るのと同時に、子どもの表情を見ます。異常のありそうなところが分かっていれば、そこから一番はなれたところから診察を始め、当該の場所は最後にすることが原則ですが、この時も「君が痛いというところは最後に見るけど、ちょっと違うところから触らせてね」というような言葉を添えるべきです。逆に、今にも泣きだしそうな子供なら一番知りたいところを真っ先に触診することもあります。
子どもだからと言って羞恥心に配慮しなくて良いということありません。思春期の女の子のパンツをパッと脱がすことなどは論外ですが(そんなことをされて「二度と病院には行かない」と言った小学6年生がいます)、外陰部や鼠蹊部、おしりの診察などにはやはり「ごめんね」とか「失礼しますね」くらいの言葉は添えるべきです(「恥ずかしいよね、嫌だよね、でもちょっとだけだから」などとウダウダ言うのは逆効果です)。
国家試験対策的には有名なことですが、「のどを見る」のは原則として最後です。でも、怖がって大きな口を開けて泣いているような時には、その時にのどを見てしまいます。「ありがとう、もう一つすんじゃったよ」などと言葉を添えています。さっさと口を開けてくれる子どもがいますが、その時ももちろん先に見ます。怖がって保護者にしがみついている子どもの診察では、まず背中から診察するほうがよいでしょう。ただ、黙って背中に聴診器を当てたら怖さが増しますから、まず指でくすぐったりしてから聴診器を当てたりします。
どんなにしても、泣いてしまう子がいます。そんな時は「待つ」のが一番です。「元気な泣き声だね」「今日は泣きたい気分なのかな」(痛みがひどくて泣いているような時は別です)などと言って保護者ともう少し話したりしているうちにおさまることがあります。客に、泣いているのを無視してさっさと診察を済ませてしまうと泣き止んでくれることもあるので、泣き止んでからもう一度診察を再開することもあります。
診察が順調に進んだときには、「良くできました」「ありがとう」「上手!」「すごい!」などと言っています。「良い子」「お利巧」というような人格評価的な言葉は絶対に使わないようにしています(大人に都合よくできた子が「良い子」という感じがして、私はとても苦手です)。病院は怖いし、診察も注射も嫌なのですから、泣いたり逃げたりするのは当然で、「困った子ね」「良くない子だ」「わがまま」「泣き虫」「弱虫」などは絶対に言うべきではありません。同じように、「でぶっちょ」「ちび」、「変わった子」「一人っ子だから」などという言葉も禁句です。診察を拒んでしまった子供にも、「今日はやりたくなかったんだね。ごめんね」などとポジティブな言葉を言います。どうしてもその診察が必要な時は、謝りながら押さえつけることもありますが。
「ごめんね、ちょっとだけの我慢だから」「ごめんね、怖いよね」とは言いますが、「怖くない」「痛くない」と嘘を言うことは絶対にしません。(2015.01、2月の原稿に続きます)