東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.194

子どもの診察(4)

日下隼人 8 子どもと話さなくてはつまらない
  7でも書きましたが、子どもと話せることは小児科医の醍醐味でもあります。(患者さんと話せることは医者の醍醐味です。そう感じられない人は医者に向いていないかも・・・。)
  これまでの経過を聞くときにも、子どもにも必ず尋ねます。子どもの方が「僕が言う」と言って話し出すこともあります。このような場合でも、きちんと話を聴いてから、ポイントと思うところを質問し、保護者に「今の話につけ加えることや、『見解』が違うようなところはありませんか」と尋ねます。多くの場合は、保護者が先に話しますから、その後で「何かつけ加えたいことはありませんか」などと子どもに尋ねます。言葉が出るようになっている子どもとなら何か話すようにします。子どもに敬語で話すのは、相手を「一人前の人間として認めていますよ」という意志表示です。子どもの話を聴き、子どもと話すことの大切さを教えてくれたのは、30年くらい前に見学に来た学生の「子どもの頃、医者が(一人の人間として)自分に話しかけてくれたことは、とても嬉しい思い出として今も心に残っている」という言葉でした。
   子どもとの「日常風の」会話は、子どもと仲良くなるためにも、その会話を通して様々な情報を得るためにも大切です。子どもと話している時の保護者の反応も重要な情報です。「かわいい服だね」「このお人形、仲良しなんだね」「今日は朝ごはんを食べましたか」「もうすぐ夏休みだけど予定がありますか」「お正月になにか良いことがあった?」「運動会では何をするの?」「お兄ちゃんと仲良く喧嘩しているかな?」。
   何を聞いてみようかといろいろ考えてみるのは楽しいものですが、内容にはもちろん気をつけます。「変わった服だね」はまずいし、「中学受験ですか」「お父さんはどうしたの」のような微妙なことをこちらからは言わないようにします(受験したいのに事情があって出来ない子どもはいますし、いろいろな理由で父親不在の家庭はあります)。尋ねるとすれば、「この先、何かご予定がありますか」「ほかのご家族の方が何かおっしゃっておられますか」などでしょうか。
   子どもが、大人から見て面白いことを言っていても、本人が真面目に言っているのならば、大笑いしたりギャグのように対応してはいけません。関西の出身であるせいか、私はついギャグを言ってしまいますが、子どもに通じないギャグを言うべきではありませんし、病気の子どものことを心配している保護者を傷つけ得る(イライラさせてしまう)危険なものであることを忘れないようにしなければなりません。ギャグは、その反応を見ることで保護者の精神状態を推察できることが多いのですが、たとえ好意的な反応をもらった場合でも、医学的な言葉でフォローする方が良いと思います。「いま、冗談のように言いましたが、医学的には・・・・という意味で気を付けるべきだと言われています」「この時期のきょうだい喧嘩は大切な経験ですね」などと。

9 検査が必要なとき
(この文章では、鑑別診断の進め方や検査計画の立て方などについては触れませんが、学生には説明しています。肝心なのは、ありふれた疾患はそれを示す所見がわずかであっても簡単に否定しないことと、見落とすと取り返しのつかない事態になる疾患の症状があれば、どんなに稀なものでも見落とさないよう心掛ける、という二つのことだと話しています。)
  「じゃあね、まず検査をしてみましょう」ではありません。
   「検査をさせていただきたいのですが」という言葉に継いで、どんなことを考えて、どのような検査をするのかを説明します。「○○という病気が心配なので」「肺炎だけは否定しておきたいので」のように言うこともありますが、どちらかといえば「入院して抗生物質をしっかり使わなければならない状態かどうかを確かめたいので」「あと一両日は外来で様子を見ていても良い状態かどうかを確かめたいので」「大丈夫だと思うのですが、病気を見過して治療が遅れるようなことを避けたいので」などと言うことが多いようです。
   そのために、どのような検査を行い、何を見ようとしているかについて説明します。「血液を取って、白血球というばい菌をやっつける細胞の数をみてみます」のように。レントゲン写真を撮る場合には、被爆のことについて一言は触れて、レントゲン写真から得られる情報の利益が被爆の不利益を上回ることをわかりやすく説明することが必要です。

「 検査結果が出ました」
   説明を始める前に検査結果を確認し、どのような説明をするかのプランを立てます、当然ですね。
   まず結論をお話します。「あまり大きな異常は見つかりませんでした」「検査は全く異常がありませんでした」「一つだけ心配な結果があります。まず正常な(or心配な)方からお話しますね」「いくつかの検査結果から、入院をお勧めすることになります」。結論を先にお話するほうが、説明を落ち着いて聞けるものです。
   その上で、「それでは、どうしてこのように判断したかのご説明をしますね」と、具体的にお話ししていきます。「この症状では、○○などの病気が一番心配だったので、△△の検査を行いましたが、異常ありませんでした。次に□□なども見落としてはいけないので・・・」というようにお話しする場合もありますし、尿→血算→血液生化学→レントゲンというように検査ごとにお話しする場合もあります。
   私は、検査結果を印刷したものをまずお渡ししています。目で見るほうがずっとわかりやすいものですし、そうすることで「わかってほしい」というこちらの気持ちが伝わると期待するからです。検査の意義、検査結果の解釈については、医学的な言葉だけでなくわかりやすい日常語で説明しますが、異常な結果については丁寧にお話しすることは言うまでもありません。正常な場合でも、「あ、これは問題ないですね」などという言葉で済ませないようにします。検査を受けた人には、すべてが気になるからです。「この検査は異常がないので、良かったですね」というような言葉を添えることにも意味があると思います。結果の欄にHが付いていてもあまり心配ない項目や反応性の項目がありますので、それについては「気にしなくて良い」理由を説明しておかないと、患者さんは「異常だ!」と不安になってしまいます。
   「CRP、これは医学的には炎症反応と言いますが、身体の中で火事が起きていて、『炎症』の『炎』は火が重なっているように身体の中で火事が起きているわけですね。その火事の、火の手の強さを見ているような検査です」と言うように、専門用語も言いますし、かみ砕いた説明もします。「CRPが高いから異常です」ではなくて、「正常値より高いのですが、入院するような人は〇〇くらいの数字になることが多いので、そこから比べると少し体調が悪いという程度だと考えて良いと思います。ただし、検査値は後から上がってくることがありますから、検査値だけで判断するわけではありません。症状や身体の調子の良し悪しなどを総合して考えていくわけですが・・・・」というような説明をしています。
   その上で、考えられる病名とその根拠を説明します(検査を行っていない場合はここからです)。
   「・・・の症状、・・・という検査結果から、一番考えられる病気は□□□だと考えています」「□□□以外にも、可能性はとても少ないと思っているのですが、△△△という病気は、手術が必要になることがあるので(早く見つけて処置をすると短い経過で帰れるので、などいろいろあります)頭の隅でずっと気にかけて経過を見ていきたいと思っています」「95%この診断で良いと思いますが、これ以外の病気の可能性がわずかながらありますので、経過や追加の検査結果によって、お話が変わる可能性はあります」というように説明しています。
   若い時に「よくわかりません」と患者さんに説明したら、年配の看護師から「医者は、わからないというものではない」と怒られたことがあります、40年近く前のことです。「わからない」しか言わなければ、それはだめです。でも、わからないことは「わからない」とはっきりと言うべきです。どこまでのことが分かっていて、その先、どういう理由で何が分かっていないのか、それが分かるためにはどのようなこと(検査のこともありますし、時間のこともあります)が必要なのか、医者としてどのようなことを心配しているのかをきちんと説明します。  時々、自分が辿りついた「診断名」だけしか患者さんに言わない医者がいますが、数学の試験でも答えだけが大事なのではなくて、その答えに至る過程が大事だと言われるように(最近マルティプル・チョイスの試験が増えたので、そのことが蔑ろにされてきているのでしょうか)、医師としてのどのようなことを考えているのかという思考過程、判断できていることと判断に悩んでいること、心配していることと心配していないことなどについて説明することが大切です。そのとき、患者さんをただ不安にさせてしまうだけのことにならないよう気を付けなければなりません。説明は、医者の「安心(なんでも言っておかないと自分が不安だから)」や「満足(全部言っておいた)」、「自己防衛(あとで文句言われないように)」のためにしているのではありません。子どもと親は、その子どもの病気との闘いの主役で、私たちはその人たちをお手伝いする共同の治療者なのです。病名を告げるということは、人に病人としてのレッテルを貼り付けることではなく、病名に負けてしまわない生き方を一緒に考えていくということです。どんなに「こわい」病名でも、そこから前向きになれるような説明であってはじめて、説明と言えるのだと思います。

   こちらが話す時、相手の話を聴く時、相手の顔を見てその反応を感じとらなければ、患者さんの思いが見えません。つまり、コミュニケーションは成り立ちません。だから画面ばかり見ていてはだめなのですね。
   患者さんはいろいろなことを考えています。「どんな病気だとお考えですか」「何かご希望の検査(治療)がありますか」などと患者さんの考えを訊くことは、患者さんと一緒に病気に立ち向かうためには必須のことです。それに最近では、インターネットなどで情報をたくさん持っておられますので、「なにかお調べになりましたか」と言うように尋ねてみると、それまで黙っていても「インターネットではこんなことが書いてありました」などとおっしゃることが多いのです。そこは、説明を深めていく入口になり、話を進めやすくなります。でも、インターネットなどからの知識があるようだからと難しい話や専門的な話をどんどん進めたら、患者さんは置いてきぼりになってしまいます。
   医学の言葉は、普通の人にはわかりにくいものなので、「立て板に水」の説明では言葉が流れて行ってしまいます。ところどころで間をとったり言いよどんだりすることは、患者さんが考えを整理したり、医者の話に追いつくことに役立ちます。私は、「考えているふり」「悩んでいるふり」をして、患者さんに時間を提供したり、「簡単には決めない方が良いことをお話しています」というメッセージをさりげなく伝えたりすることがあります。
  医学の言葉は、普通の人にはわかりにくいものなので、「ここまでで、おわかりになりにくいことがないでしょうか」と話の途中で何度も確認しますし、「今は、全部がお分かりにならなくても大丈夫です。何度でもお話ししますので」というような言葉を添えます。専門用語をなるべく少なくして、できるだけ「ふつうの」言葉でわかりやすく説明すること、そして相手がよくわかるまで丁寧に繰り返し説明することをいとわないのは、医療のプロとして当然の条件です。できるだけ、文字で書いたり、図示したりすると良いですね。医師免許証には、「そんなことのできる人であってね」という願いが込められています。そのことを願っているのは、厚生労働大臣ではなく国民です。そう考えたら、「説明したのに、分からない」というのはプロとして恥ずかしいことですね。「時間がないから」と、ここで説明を簡略にすると、同じ説明を繰り返さなければならなくなったり、思いがけない行動を患者さんが取ったり、医師の態度を非難されたり、のちのちもっと時間が必要な事態を生じることが少なくありません。 (2015.02)

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