東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.195

子どもの診察(5)

日下隼人 10 これからどうしましょう
  さらに検査が必要な場合の説明は、9に書いたことと同じです。「これ以上はいやだ」「次回にできないか」と言われることがあります。「どうしても必要だ」と思って提案している場合もありますし、「どちらかと言えば、今日しておくほうが安心なのだが」と思って提案している場合もありますが、どちらの場合も、そう考える根拠を丁寧に説明します。「これだけは分かってほしい」と心から思っていることは、たいてい通じるものです。  治療を提案する場合には、以下のようなことについて説明しています。
・具体的な治療の内容(「お薬を飲んでみましょう」「注射の治療です」は説明ではありません。薬効と副作用については必ずお話します。
・その治療によって、どのような効果が、どれくらいの時間で(何時間後に、何日後に)得られるかの予測。
・期待される効果が得られない可能性、その場合の対応。有害事象の可能性。
「あと一両日はまだ症状が続くと思いますが、遅くとも明後日には〇〇の症状は軽くなってくるはずです。そうならなければ、もう一回、診させていただきたいのです。もし、もっと症状が強くなるようなら、その時点で、真夜中でも救急外来を受診して下さいね。」
・他の選択肢について(自分としては勧められないものについても、理由を添えて提示する)。
  別の考え方について、「・・・・を呑むほうが良いという先生もおられますが・・・」「早く手術する方が良いという先生もおられますが・・・」のように言って、その別の考え方の根拠についても説明しています。 ・他の医師の意見を聞くことについて勧める(ある程度重傷な病気の場合。診療について異説や多様な見解がある時など) 
  「このような病気の治療については、・・・・する方が良いとか、××する方が良いとか、いろいろ意見があります。その意味で、別の医師の意見をお聞きになってから、これからの方向性を決めてはいかがでしょう。いまのところ、決めるまでに1-2週間の時間がかかっても、治療が遅れるというようなことはありませから」
  その上で、治療方針の選択について、患者さん(保護者)と話し合って決めていきます。shared decision making(SDM)という言葉がありますが、何もそんな難しい言い方をしなくとも、いつだって医療とは患者さんと私たちが十分に話し合って、お互いの納得の上で進めて行くべきことなのです。
  医学は絶対のものではありませんから「自分の言うことが正しい、それに『乗らない』のは無知蒙昧である」というような雰囲気で語るべきではありませんが、「自分の言っていることが正しいという保証はどこにも無い」と言われても患者さんは困ってしまいます。一定の不確実さを受け止める中で、「この方向が現時点では一番妥当なものだと思う」という根拠を丁寧に説明します。
  「その治療はいやだ」と言われる場合でも、「じゃあ、もう知りませんよ」「うちの病院では診られません」「なんて非常識な」などというのではなく、治療を受けない場合のメリットとデメリット、予想される結末(悪い結果が予測される場合でも、脅かして言わない)、提案する治療を受けない場合に医療として私たちができる援助について、「いやな顔」をせずに説明します。「一つしかない治療を患者さんが拒否したら、何もできない」という医者がいますが、その場合でも「最後までそばに居て、ケアする」という治療がありますし、それを提供するのは私たちの務めです。患者さんの「こんなことをしたいのですが・・・」「こんなふうではダメですか」といった希望にはできるだけ添うように、軌道修正します。   患者さんの質問からは、患者さんの「理解度」が分かりますし、そこでのやり取りからお互いの理解が深まり、お互いの信頼を増すための絶好のチャンスです(ということは、お互いの信頼を損なうリスクも多い機会だということです)。患者さんの満足度は、いっぱい話されるより、質問に丁寧に答えてもらうことで増すと言われます。医療者の説明はどうしても専門的なものであり、患者さんには「わかりにくい」ものです(この「わかる」は、「頭で理解できる」というものより深い、「腑に落ちる」「ストンと心に落ちる」「納得できる」という分かり方です)。だから患者さんには分からないことだらけのはずなのですが、病への不安、病気になったことへの不安、医療者への気兼ねや畏れから、質問はなかなかしにくいものです。もともと日本人は、「上」の人やいろいろ説明してくれている人に「わかりません」とは言いにくいものです。だからこそ、質問してくれることは嬉しいことですし、こちらから「わかりにくかったことはありませんでしたか」「ご質問はありませんか」と尋ねることはもちろんですが、それだけでは「わかりました」と言ってしまう人が多いので、私は「あのあたりのご説明は難しいと感じられる方が多いのですが」「お話ししていて、私自身『うまく説明できていない』と感じたのですが」などと言って質問を促しています。

12 いつも別れは寂しい
   さて、今日の診察はおしまいです。患者さんに何と言いましょうか。「はい、おしまいです」、「じゃあ、良いですよ」、「OKです」なんて言う人もいますし、「おだいじに」がいちばん有名です。でも、こうした言葉を、元気よく、ズバッと言われたら、患者さんは「はい、おしまいだよ」「もう、話さないでね」という雰囲気を感じてしまいかねませんし、「『一丁上がり』と片づけられているんだろうな」と感じてしまうかもしれません。恋人同士なら、デートの最後にこんな別れ方はしません。患者さんと恋人同士になるということではありませんし、デートの最後のようにしっとりと「名残を惜しむ」必要は全くありませんが、少しだけ余韻を残すような別れ方はできないでしょうか。「それでは、今日はこれでおしまいにしてよろしいでしょうか。ほかに何かご心配なことはありませんか。お家に帰って心配なことに気が付かれたら、次回まだご相談しましょう」というような言い方を私はしているようです。
   患者さんが診察室の扉を閉めるまでは、そちらの方を向いて見送ります。この時は、医者が扉に手をかけると「早く帰れ」という意味になるので、扉を閉めるのは患者さんです(身体に障碍があったり、荷物が多い場合は別です)。そこでお礼を言う人もお辞儀をする人もいます。その時、医者が患者さんの方を見ないでさっさとカルテ記載(入力)している姿を見たら患者さんは寂しくなります。患者さんの方を見ないで「お大事に」などと言う人がいますが、患者さんは背中でそのことを聴き取り、がっかりします。
  「惚れた弱み」という言葉がありますが、患者さんと医者との関係は、それくらい医者が身を低くして、何とか少し「対等」な関係に近づけるくらいだと思います。惚れた相手との関係では、相手の言うことに心を集中して丁寧に聴きますし、自分の思いを伝えようといろいろ努力します。コミュニケーションで大切だと言っていることは、実は恋愛関係を考えてみるとよくわかりますし、ほとんどの人ができることなのです。患者さんとは恋人になるわけではありませんが、親しい友人・尊敬する先生とつきあうように接すると考えればコミュニケーションはたいてい大丈夫なものです。

   こうして書いてみると、けっこうウダウダと話していたことに気づきます。実際には、患者さんの診察に合わせて説明していましたので、一人の学生にすべてを話していたわけではありません。「今の診察を見て、何か感じたことがありますか」と尋ねてから、その答えに合わせて説明することが多かったと思います。診断の進め方や病気についての説明、具体的な治療についても話していましたし、接遇や患者サービスについても話していましたから、学生は「鬱陶しい」と思いながら聞いていたことでしょう。
   でも、医者って誰でもこんなふうに気を遣っているのです。劣等生の私の気遣いなど未熟なものでしかありません。ここに書いたことは、小児科医が読めば誰でも当たり前のことだと思うはずです。それなのに、時間や言葉が少し足らないばかりに誤解されてしまう医師が少なくないことが残念です。
   この長い話を一言でまとめれば、それは「敬意」と「関心」いうことにつきます。コミュニケーションは、相手の側に立って同じ方向を見つめること(「この人にはどう見えているのだろう」「この人はどう感じているのだろう」、そして「この人にとって本当に良いことなのだろうか」と一度は考えてみること)、その上で「心を込めて話を聴く」「心の奥からの言葉を語る」「心からの敬意を払い続ける」の3つがあれば十分だと思います(ちょっとK.ロジャースの真似をしています)。そこにたどり着くための途は多様でかまわないのですし、多様だからこそ楽しいのだと思います。(2015.02)

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