東京SP研究会
コラム:日下隼人

日下隼人プロフィール

No.197

医者は2年もすれば

日下隼人   研修病院では、毎年3月が来ると2年間の研修を終えた研修医が巣立っていきます。採用試験の時に「一緒に働いてみたい」と思い、2年間の成長をわくわくしながら見せてもらえた研修医との別れは、正直寂しいものがあります。もうこれからの私には、その成長を祈りながら遠くから見守ることしかできません。でも、研修医にとっては、この旅立ちこそが大事だと私は思っています。
   私が研修医をしていたころ、指導医から「小児科医は2年もすれば、一通りのことができるようになる。だからこそ、3年目のはじめに初心に戻れる人と戻らない人とでは、その後の人生が全然違ってくる」と言われました。実力がないのに生意気ばかり言っていた私へのさりげないアドバイスだったのだと最近になってやっと気が付いたのですが(教育とは時間がかかる仕事であり、ずっと先のいつの日か相手の「腑に落ちる」ことを待ち続ける仕事なのです)、研修医の指導に関わるようになってから研修終了式でいつもこの言葉をお話ししています。
   「初心に戻る」ことが苦手な人でも、病院を変わって別の病院で「新人」になれば否応なく初心に戻らざるをえなくなります。若いうちにいろいろな病院の「釜の飯を喰う」ことは、医師としての成長にきっと役に立つと思います。病院ごとに雰囲気は異なりますし、患者さんの雰囲気も違います。病院ごとに診療への姿勢も患者さんへの姿勢も異なります。ガイドラインがあっても治療は少しずつ違います。ケアはもっと違います。その違いの中にこそ、学ぶべきことがたくさん潜んでいます。若いうちに多くの病院を経験することは、医学的視野を広めてくれますし、人との関わりを豊かなものにしてくれます。研究をしている人たちがたくさんいる大学病院の臨床も経験しておくほうが良いと思います(自分が研究をするかどうかは別のことです)。大学病院の医療には欠点も少なくありませんが、大学病院の臨床には大学病院の臨床の良さがあり、また大学でないと経験できないこともあります。大学の医療を批判するくらいの視点の持てる医者になってほしいとは思いますが、一度はその中にどっぷりと首まで浸かって臨床をしてみたうえでの批判でなければ意味がないでしょう。

   今の研修システムで行われているローテート研修が良いと思うのは、私の個人的経験からです。私は卒業後すぐに小児科に入ったのですが、大学勤務の2年目から4年の終わりまで、小児科医をしながら定期的に内科で勉強させていただいていました。小児科で血液疾患を診療していた先輩が辞めてしまったため、診療のイロハを血液内科(と、当時は言いませんでしたが)で教えてもらうしかなかったのです。内科でしか見ない疾患を学べた経験も貴重でしたが、小児科医と内科医とでは「病気の世界」の見方が相当異なるということに驚いたのが一番貴重な経験でした。いわば、身をもって「社会構成主義」を学んだようなものです。その結果、今日にいたるまで小児科の患者さんを診ながら「内科医だったら、このような時どうするだろうな」と考える習慣がつきました。それで、私はローテート研修の最大の効果は、各診療科の世界観(疾病観、治療観)の違いを知り、医師としての臨床的視野を広げることにあると思いますし、その意味でローテート研修のシステムはとても良いものだと考えています(学生実習では、そこまでのことは身につかないと思います)。うまく視座を転換することのできる医者の方が、患者からの視座も取りやすくなると考えたい(期待を込めて)。

  それなのに、いまだに、ローテート研修に否定的な意見の人がいます。いまだに、初期研修医が自病院に3年目からの後期研修医として残ってくれることを期待する病院管理者や研修責任者がいます。「残りたい」「残してくれないのですか」という研修医のいることが、そのような思いの管理者を力づけてくれます(中にはモラトリアム志向の人もいるかもしれないのに)。確かに、自院で初期研修をした人が残ってくれれば「使い勝手」は良い。「投資した」費用は、有効に回収されるでしょう。ほんとうに「金をかけて育てたのに、他の病院に行ってしまって」と言う人がいましたが、こちらも他の病院が「お金をかけて育てた」人を採用しているのですから同じことです。「使い勝手が良い」人を求める心性は見透かされ、その病院は研修医から評価されなくなります。
   「他の病院の経験は6年目からで良いではないか」と言う人もいますが、6年目にはすでに一つ目の病院の型がしみ込んでしまうので、せっかく他の病院に行ってもflexibleに学ぶ力が少し落ちてくるのではないかと、私は思っています。もちろん、一つの病院で初期・後期研修をするか駄目だということはないでしょう。初心を大切に、自分の視野を広めるように心がければ良いのですし、5年間一つの場所にじっくり尻を据えるほうが性格に合い、研修の実が上がる人がいます。2年間のローテートに疲れてしまった人は、移動しないほうがよい場合もありそうです。そう、その人の性格に合った生き方を提案することが私たちの仕事です
   研修病院のために研修医が居るのではなくて、日本中の研修病院は研修医のためにあるのだと私は思います。一人の医師としての人生に、私たちには責任があります。成果が上がればそれは研修医の力、不首尾があればそれは研修病院の責任と割り切って考えたい。誰もが大きく育つ芽を持っているのですから、その成長の芽を自分たちの思惑で摘んでしまうような権利を私たちは持っていません。日本のどの病院でも、その病院一つで若い人の可能性を全面的に開花させるだけの能力は持っていません。医療レベルが高いことで有名になっている病院は、それほどでもない普通の病院での臨床の意義を教えることができません。研修医のもっている豊かな可能性をできるだけ伸ばせるようにお手伝いするのが、私たちの仕事です。ずいぶん昔のことですが、「小児科医の仕事は、社会の役に立つ人間を作ることだ」という言葉を聞いた時に、私は「小児科医の仕事は、子どもが一人の人間として十分に尊重される(その人のために役に立つ)社会をつくることではないのか」と思いました。研修医の指導でも同じことです。

   「研修医が、2年間の研修を修了して、次の段階に跳躍するための、その人に合った跳躍ができるための「台」になれれば、研修病院としては本望です。いかに良い跳躍台になれるかと考え続けることが研修病院の仕事です(スーパードクターになるような跳躍をさせるというような意味では全くありません)。
   研修終了後は没交渉になってしまう人も少なくありません(私の不徳の致すところです、きっと)。少し寂しい気もしますが、跳躍台としてはそれで良いのだと思います。せっかく跳びあがったのに、元のところに戻ってきては元も子もありません。どこかで卒業生たちが「あの病院は(跳躍台として)良かった」と言ってくれれば、それだけで、全国で自院の評価が上がります。跳躍台の存在自体を忘れてしまうこともあるでしょうが、それでも良いのです。「サルトルのノーベル賞拒否に感動したレヴィナスが賞賛の手紙を送ったとき、サルトルは自分を現象学にみちびいたその差出人の名前に記憶がなかった」というエピソード(有名らしい)があります。このエピソードはレヴィナスが時の人ではなかったことの証として語られています(精神分析的には別の考察が可能でしょう)が、時の流れの中でそんなふうに「忘れ去られる」ことは、教育の一つの望ましい姿だという気がしています。

   こんなことを書いていますが、私は、卒業後4年間母校の大学病院に勤務し(その後も50歳ころまで毎週大学に行き、定年まで臨床教授でしたので長いおつきあいをしました)、それから36年間武蔵野赤十字病院に居続けてしまいました(ちょうど中ほどで1年弱の間、京都の小さな病院に勤めましたので、やや不正確な表現です)。「だから成長しなかったのだ」などと、自分の不出来を経歴のせいにするつもりはありませんが。(2015.03)

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